《邂逅》


 一条の閃光が、音も無く闇の中を走る。それは術式によって紡がれた源素の刃。
 超光速の飛刃は人々の肉体を、霊体を、精神体を、無数の欠片へと変貌させていく。
 在るモノを斬り、消滅させる至極の斬撃。
 刃は更に加速する。
 不可視のレベルまで細断された肉片は、かつてそこに生物が存在していたという一切の名残りを遺さず、風に吹かれて散っていく。
 それは(ハタ)からは消えたようにしか見えないであろう、超速の絶技。
 あまりに一方的過ぎる展開。
 しかし、そんなことはどうでもいいのか、刃を振るった少年は今にも瞼の落ちそうな瞳で空を見上げる。
 これは戦いではない、戦いにすらなり得ない。
 言うなれば、虐殺。
 あるいは彼――キョウからしてみれば、虐殺でもないのかもしれない。
「しかし、なんでこうも狙われるんだろ」
 キョウは溜息混じりに問い掛ける。
 答える者などもういないということくらいはわかっている。
 問い掛けた相手は、あえて言うならば空高く浮かぶ月。
 生物は精神が失われれば、たとえ惰性で代謝が続けられていようとも、その肉体は単なる肉塊でしかなくなる。
 脳が残っていれば、電気で刻まれた記録を読む取ることが出来る。
 精神核が残っていれば、精神の無意識領域に貯蔵された、本人すら記憶に無い記憶を読み取ることが可能だ。
 しかし、そのどちらも完膚なきまでに刻みきったキョウの刃は、あらゆる詮索を不可能としてしまっていた。
「……お前も」
 言葉と共に振り返る、視線の先に一つの影。
 そこに立ち尽くすのは滑らかな長髪を肩下まで下げ、凛とした雰囲気を纏った少女。
 風になびくその黒髪はまるで全てを内包したモノ、無限を現しているかのよう。
 少女の容貌を持つものの、彼女は美少女と呼ぶには似合わない。どちらかといえば、美女という言葉の方が似合っている。
 そもそも、その身に纏う雰囲気には、ただの美しさなどといった俗な価値観は見合わない。ヒトというカタチが、元々持つ美しさ。様々な無駄によって失われるそれを、その無駄を取り払うことで磨き上げたかのような、ヒトの姿でありながらもヒトとは思えないその雰囲気。彼女の美は、容姿の美ではなく、存在としての機能美。
 左手には片刃の長刃。その容姿に、キョウは戦女神という言葉を連想する。
 あからさまな殺気は、隠そうとしてすらいないのだろう。彫像の如し少女に、キョウは本能的な恐怖を覚え、跳躍する。
 刹那、キョウの居た場所に超光速の刃が急襲する。
 つい先程、キョウが放った光刃と同じ剣呑極まる術式はその実、原理自体は恐ろしいほどに単純。
 陰と陽、両側面に源素を安定させ、それを速く動かすことで、斬る。
 それはいかな存在も比肩し得ぬ、極薄にして究極の刃。
 息つく間など微塵も存在しない。光刃の強襲は三桁、四桁、五桁、六桁と最早、数えるのが億劫になるほどに続く。
 その間、一刹那にすら遥か遠く及ばない。
 音速を超え、光速を超え、最早超えるモノが無い者が至る極地にして境地。
 神速。
 その刃は一切の曇りなく、的確にキョウの急所を狙い、キョウの全身を狙い、そして刃の奔流がキョウの全身を包み込む。
 常人なれば、否、いかなる超絶技巧を持ち備えた達人であろうと、どれだけの身体能力を持ち備えた超人だろうと、どれだけの才能に恵まれた才人であろうと無関係。
 それがヒトたる存在ならば生き残り得る可能性の無いその中心に、しかしキョウは立っていた。
 その双眸からは眠気などは吹き飛び、鋭い視線が少女へと向けられる。
 だが、そこには怒りも、狂気も、愉悦も何も無い。
 含まれた意思は、目の前の超常に対する驚きと、呆れと、そして、恐怖。
 その身が反射した光が互いの瞳に届くよりも早く、キョウは自らの意思を乗せ、少女に向けて放つ。
『用件は?』
 回答の前に、少女は左手の刃を一閃。
 神速の刃はその軌跡を写すより疾くキョウへと至るが、キョウはそれを難なくと避ける。
精神核(ロザリア)を』
 返される答え、と共に再び迫る刃。
 今度のものは少女の持つ刃ではなく、世界に充溢する状態の源素を固め、形作ったものに過ぎない。
 キョウは身じろぎ一つすらせず、自らの刃を振るう。
 これも実際に振るうわけではない。
 強大な源素干渉の波長が隠蔽限界を超え顕現する。その発生源はキョウ。
 刃と刃、制御された干渉の力同士が衝突しあい、形成された不安定源素が互いの存在を観測不能の充溢態へと還元する。
 続いて、キョウは自らの左手に刃を顕現、僅かな予備動作も無しに少女へと突撃する。
 伯刃、それがその刃の銘。
 基本的に他者が真似することの出来ないキョウの術式には名称と言えるようなものは無い。
 そんなキョウの術式の中にあって、確固たる名称があるのがこの伯刃。
 キョウが主に片刃の長刀に形成して使用するこの術式は、精神を刀身に据え、そこに様々な術式を纏わせる汎用性の高い術式。
 一般的な源素の状態である充溢態、半物質態、物質態のどれにも属さない、特殊態たる精神の結晶は、それだけでも極法と呼ばれる神技無双の代物。
 キョウは今、それに加えて更に剣呑至極の術式を纏わせている。
 莫大な干渉力によって対象を強制的に存在飽和点へと至らせ、根源と同化させる術式。それは即ち効果対象がいかなる態の源素であろうとそれを強制的に還元し、事実上消し去る消滅の刃。
 精神に対して使用した場合、他の手段では不可能な、精神核の消滅を可能とするキョウの必殺の術式にして極法の一つ。
 少女の実力を理解してか、纏う術式に一切の手加減は無い。迫る伯刃に対し、少女は微かにその流麗な眉目を揺らし刃を打ち付ける。
 一度の打ち合いで、キョウは少女が振るう刃の正体を把握する。
 伯刃と同質の、精神の結晶化術式。
 精神によって構成されし、絶対にして不可侵の刃がキョウの必殺の斬撃を受け止め、消滅の術式を相殺する。
 キョウの、そして少女の眼光は揺るがない。
『やめる、なんて選択肢は?』
『無い』
 即答と共に、二人の間に距離が開く。少女は術式を展開発動。
 術式干渉によって生じた精神結晶弾、幾条もの絶対不可侵の弾丸が神速の勢いでキョウへ迫る。
 キョウは右手に防護の術式を高速展開、二つの干渉力が激突。
 多重にして本来であれば相互不可侵であるはずの異層に、そのようなセオリーを超えて激震が走る。
 大地は砕け、裂け、崩れ征く。
 莫大な干渉力の奔流に両者は困惑する。
 今まで出会ったことの無い、圧倒的な力の持ち主。
 彼らは自身の力を過小評価していたわけでも過大評価していたわけでもない。
 正当な、力の理解。そして、それに敵うであろう存在との、初の邂逅。
 少女は笑みを浮かべ、キョウは忌々しげに目を細める。
 その僅かな間隙に少女は恭との間合いを詰め、逆手振り上げの刃を放つ。
 その動きを予想していたキョウは体を微かに傾け刃を回避。しかし消滅の刃は目標の右腕に肉薄、周囲の大気ごと薙ぎ払う。
 常人でなくとも必殺となりうる一撃。
 キョウの伯刃に等しいそれを放った少女、そしてそれを回避したキョウの実力は共に、最早規格外という他に無い。
 キョウは、自分の服の右袖に切れ目が入っていることに気付く。
『今のは威嚇。降参するなら今の内だけど?』
 それは少女からキョウへの言外の警告であると同時に、最大級の譲歩でもあったのだろう。
『随分と余裕をかましてくれるな。まぁ、俺はそんなに物分かりはよくない、と言っておくか』
 返答に対し少女は一瞬、呆れにも似た表情を浮かべ跳躍。
 先撃と比べ、僅かながらに遅い動き。
 それは常識の世界では無とされるほどの微々たる違い、しかしこの両者の戦闘においては命を幾つ持っても足らないほどの致命的な遅れ。
 キョウは少女の動きを予測、見切りを付けて回避。同時に左手の伯刃から消滅の術式を取り払い、思い切り振り抜く。
 刃ではなく峰での一撃は、異様なほどにあっさりと少女の刃を砕き、その無駄な肉一つ無い鳩尾に埋まる。
 少女は地面に足を着き損ね、その姿を霞の如く消す。
 一瞬何が起きたのか掴めなかったキョウもすぐさま事態を理解。
 だが、対応の間が与えられるほどに少女は悠長ではなかった。精神を置換する消滅の刃がキョウの右肩を裂き、同時に精神の一部が削り取られる。
 核部は健在、割合からすればまだ再生可能な状況ではあるが、それだけの時間的猶予が与えられるとはキョウ自身思ってはいない。
 少女の遅速は罠、紡いだ術式は傀儡。干渉力による源素干渉で肉体と同素材の物質を生成、更なる干渉によってそれを遠隔的に操作する、比較的初歩に属する術式だが、その精度と速度は達人の秘術のそれをも遥かに上回るほどの凄絶さ。
 強い。
 キョウは、初めて本当の意味でそう感じていた。
 今まで相手が比較的強い、と感じたことはあってもそれはあくまで他者との比較、相対的なものでしかなかった。
 しかし、違う。
 精神の根底が教えてくれる、死の恐怖すら感じる相手。自らを殺しうる、本気で戦うべき存在であると。
 思考を呑み込み、全身に意識を集中。それは一点の隙も無い完璧な構え、ではない。
 右の肩に、極めて僅かに術式障壁の薄い穴が存在している。その程度の違いも、少女は見逃さない。術士に限らず、ほとんどの精神にはどこかしら弱所というものが存在する。その点はいかに隠そうとしたところで、何らかの綻びが生まれるものである。その性質を使用した、キョウの意趣返し。
 戦闘開始時から常に張った術式障壁、しかも変わらずに同じ点に生じ続けている意図的な弱所。
 術士として、完全に規格外の存在たるキョウに弱所は存在しない。
 キョウは常に、かつ全身に、強力で完全な障壁を展開することが出来るという特異な性質の持ち主。
 その狙い通り、少女は罠目掛けて消滅の刃による斬撃を加える。
 それに反応したキョウは術式展開、組成変更。全身に巡らせていた術式障壁を右肩の一点に集中。
 超高密度となった精神の障壁が斬撃を食い留めると共に、少女の動きを絡め取る。
 この程度の小細工が長く保てるとは考えていない。
 術式の至高、極法とすらされている精神結晶化の術式を使いこなす相手に、低位や中位の術式など目晦まし程度の意味があるかどうかも怪しいもの。
 ならば、幾度と無く刃を重ね、その末に戦いを終えるしかないと判断。
 気を抜ける瞬間などあろうはずもない、極々微時の内の死闘。キョウは組成済みの術式の展開を開始。源素が集束し、大地は歪む。無意識領域に保存されていた術式が紐解かれ展開、発動。
 究極の干渉力によって放たれた至高の一閃が、真上から下へ、打ち下ろすように一人の少女に向けて猛進する。
 それは、どれほど巧妙な術式だろうと、無意味と判断したキョウの苦肉の策。
 何の細工も無い、ただただ莫大な力の奔流。
 勿論、それだけで倒せる少女だとはキョウは考えていないが、しかし倒したのではないかという希望があったのも事実。
 だが、そんな希望も儚く打ち破られる。
『これほどの術式を連発する干渉力。それを無意識下で行う精神感応性。そして、この状況下において一切の躊躇いも戸惑いも見せない、その胆力。全てに置いて、見事としかいいようがないね』
 少女の頭上にはやはり、逆術式による術式障壁。
 守るは易く攻めるは難い、それは戦闘の基本。精神結晶の術式は、防御面でこそ真価を発揮する。
 少女の術式によって守られた、直下の大地は絶大なる衝撃によって沈下、しかしキョウの反発術式をそのままに受けた地帯には、既に大地と呼べるものが無い。
 あるのは絶望を意味するかのような、深い深い奈落のみ。
 壮絶な衝撃によって失われた足場から、少女は軽やかに跳躍する。
 両者が操る、精神結晶化と、源素還元の術式、どちらも世の術士達が求める術式の究極系。
 それを軽々と、しかも神速と呼ぶに相応しい超高速度での発動するのは、まさに空前絶後、勝者は世の最強、敗者だろうとその次点となりうるほどの超的な戦い。
『お前も、十二分に恐ろしい奴だよッ!』
 思考を飛ばすと共に、キョウは少女目掛けて真っ直ぐに飛翔する。
 精神結晶たる伯刃と少女の神刃は、この二人をもってしても尚、認知できないほどの迅さで打ち合わされ、互いの精神の結晶を削り合う。
 戦いの当事者ですら意識的ではなく、無意識の内にぶつけ合う刃と刃は、その都度に周囲の源素状態を大いに改変していく。
 時間あたりの変化は過去に起きた、数度の国家間大戦であってもここまでの変貌はないほど。
 もしここが領域隔離されていなければ、容易に世界自体の枠組みを崩壊させているだろう。
 それほどの激戦において、どちらも一撃としてクリーンヒットと言えるようなものを受けてはいない。
 刃と刃が再び交錯する。
 双条の刃は、さながら鏡像に写したかのように見事左右対称に動き、互いが互いの攻撃を防ぐ。
 単純な刃と刃のぶつけ合い。
 本当に、本気で、殺す気でやらねば自分が殺されるかもしれない。そんな思考がキョウに浮かぶ。
 視覚ではなく、神眼による識覚の感覚受容に気を向ける。これほどの速度の戦いであれば、音は勿論、光ですら自らに届くのを待っていれば命は無い。
 そんな油断が即、死に繋がるような状況下にもかかわらず、キョウは不覚にも神眼が受容する、夜明かりに浮かぶ少女の肢体に美しさを感じてすらいた。
 だが、そんな思考の余地は無い。
 自らの死という、初めての感覚を確かに感じながらキョウは跳躍。
 同時に、周囲の充溢態源素を集束、半物質態を経て物質態に変換。
 一つ一つが膨大なエネルギーを内包した術式鋭刃が生じ、伯刃の振り下ろしと共に少女へと殺到する。
 薙ぎ払い。
 横に一閃された少女の精神結晶刀が、放出された余剰干渉力によって形状を留められずに崩壊。
 しかし、ただで崩壊するわけではない。
 内包された膨大なエネルギーが崩壊に際して解放、巨大な爆発となって少女を巻き込む。
 既に安全圏に避難したキョウは、改めて伯刃を構え直す。
 小細工が少女に与える影響が微々たるものであると理解はしていても、それでも与える影響がゼロでないからには可能なだけのことをする、それがキョウの判断。
 先程、少女が使用した傀儡の術式なども同様。程度の低い小細工には過ぎないが、それでも状況によっては大意を成す。それをキョウは、まさに身をもって学んでいる。
 爆発の中から弩風の如く神刃が振るわれ、伯刃によって弾かれる。
 右から左へ、左から斜め右上、反転し左下、そのまま右に横に薙ぐ。
 速さ以上に、一撃一撃の重みのかかった連撃。
 数度の打ち合わせを経て、瀑布となった干渉力の奔流がキョウを襲う。
 舌打ちと共に、上段から振るわれる伯刃が、少女の神刃と再び鍔競り合うかと思いきや、少女の刃は虚空を斬るのみ。
 ほぼ同時、少女の中心、精神の核がある場所を真の伯刃が捉える。
 技後硬直の僅かな隙であろうと、キョウは必殺の一撃を放てた。しかし、少女には僅かな隙すら存在しなかった。
 その表情は驚きに満ちてはいたが、相も変わらず流れるような動きで必殺の刃に対し回避運動をとる。
 しかし完全には避け切れず、伯刃がその脇腹に穴を開け、幾分かの精神も殺ぎ落とされた。
 再びの意趣返し。キョウは少女が行った傀儡術式による入れ替えを、ほぼそのままに利用しただけ。
 当然、二度は通用しない。だが、キョウも二度使うつもりなどはない。
 突如、キョウの右胸に風穴が開く。
『?』
 それは紛れもなく少女の刃が穿った傷。少女は自らを抉られながらも、キョウの精神の核を確かに狙っていた、ということになる。
 それはあまりにも凄絶な戦闘勘と技術。そしてそれらはキョウにとって、自らの死を近づける存在でしかない。
 少女の傷はキョウのそれに比べれば明らかに浅い。それは肉を切らせて骨を絶つ、という言葉の実践。
 抉り取られた精神を、他の部位で補完する。それによって、キョウ自身の外見も若干痩身となるが、そのようなことを気に留める者は、この場にはいない。
 今の交錯によって、拮抗するかと思われた状況は転換した。
 削り取られた量の多いキョウの方が、圧倒的に不利。しかし、負けるわけにはいかない。
 その気持ちがキョウに拳を握らせる。吹き上がった砂煙が紡ぐ砂塵の中、キョウの超感覚が少女を確認。戦闘態勢をとる。
「休憩は終わり」
 光が届き、キョウは少女の唇の形からその言葉を読み取る。
 先程までの衝撃が、遅れてようやく音を生じる。鼓膜が破れるどころか周囲の全てをそれだけで破壊し尽くすのではないかと思えるほどの破壊の力も、彼らの力に比べれば児戯にも等しい。
 戦いの中の時からすれば、異様なほどの時が流れる。未だに、二人の闘争は刹那にも満たず、しかもそのほとんどが会話によって費やされた時間だというのだから恐ろしい。
 少女の落ち着き払った声が、ようやくキョウに届くか否かの刻、その刃から衝撃が走る。
 両者共、感覚的に覚えのある干渉波長を感知、見事に一致した破壊の激流が正面から衝突。
 行き場を失った力の塊は横に逸れ、地面を穿つ。
 一瞬の、意識の邂逅。
 全くの同時に同質の術式が同等の干渉力を用いて発動したことにより、ほんの微少な時間ながらも彼らの意識は確かに同調をとっていた。
 嫌な感覚ではない。どちらもそう思いつつも、戦いの姿勢を崩さない。
 微かな硬直、先に動いたのは少女。
 左手の長刃を握りこみ、右から左へ横薙ぎに振るう。
 動きを感知したキョウはその範囲を見極め後退。
 しかし横薙ぎの一閃は予想通りの軌道を通らない。刃を薙ぎつつ踏み込みによって縮められたリーチで狂刃が襲撃。
 キョウは消滅の障壁によって防ぐが、不可侵の術式によって相殺。再び意識が邂逅し、両者は弾かれたように距離をとる。
『んなもん効くか!』
『わかって、いる!』
 怒声のような意思の放出に合わせ、少女の剣圧が数倍に膨れ上がる。別段特別な術式を使っているわけでもない。つまりは彼女は未だに本気を出していなかったということになる。
 それどころか、今ですらもまだ本気ではないのかもしれない少女の技術と柔軟な思想、そしてそれを成り立たせる抜群の潜在能力にキョウは再び驚嘆する。
 伯刃が弾かれる。迫り来る刃の勢いを干渉によって減殺するが止まらない。大きく体を捻り捻転回避、刃は眼前を通り過ぎるが、同時に体制が崩れる。
『覚悟』
 同調によって感じた、不気味なまでに静かな少女の意識に、キョウは悪寒を感じる。
 微塵の躊躇も無く振り下ろされる刃は少女の内包する莫大な干渉力の付加を受け、キョウ目掛けて神速で降り掛かる。
 キョウは再三の干渉障壁によって速度を減殺、体を傾けることによって回避。
 刃はキョウの耳スレスレを掠め、右肩へと疾る。
 肉体に食い込んだ精神結晶の刃を精神で直接干渉、元の第五態へと還元し、自身の精神の回復へとまわす。
 源素還元の術式は源素を第零態に変換する術式であり、原理そのものは全く異なるものの、その概念自体は源素を他の状態に変換するという基本術式の応用に他ならない。
 通常ならば他者の精神は変換したところで自分の物にすることは出来ない。それぞれの精神が持つ特異性が、精神の同調を妨げるためだ。
 しかし、還元された少女の精神結晶は意外なほどにキョウに馴染み、削られた精神を補完する。
 先刻の同調と同系術式の連発から、自身の精神と似通ったものではないかというキョウの予測が想像以上に的中したのだ。
 右肩はよくぞ一つの肉体として保たれていると褒めたくなるほどに、筋肉やら骨やらが切断されている。
 文字通り皮一枚で繋がっているようなこの状況では、通常の生物であれば動かせるはずもない。
『さ、て!』
 精神が結晶化、切断された部位から胸部までを覆う。
 さながら昆虫類の外骨格にも似たそれは、しかし勿論キチンやクチクラなどとは比較にならないほどに硬い。
 精神結晶で刃を作るのではなく、自らの肉体を構築するという冗談のような応用技術。
 しかし、これであれば少女の刃をそのままに受けたところで致命傷は免れられるだろう。少女の感心が周囲に満ちる源素を通じて感じ取れる。
 放たれる精神結晶の飛刃。
 身を削って放つ一撃一撃が、必殺の一撃となるべきものであるにもかかわらず、少女はそれを軽々と、とまではいかないながらも動揺することなく的確に避け、打ち落とし、弾き返す。
 続けざまに放たれる刃に少女は術式を展開。万能防御である絶対干渉術式を用いて防御するが、再び付加されたキョウの消滅術式により相殺され、キョウの本命、伯刃が少女に肉薄。
 その時点で回避が不可能、加えて、受けたところで致命傷とはならないだろうという判断からか、少女は攻性へ転換。術式発動後の、無にも等しい僅かな間隙を狙い刃を打ち放つ。
 大地に穿たれた少女の干渉力によって、自然状態では起こり得ない大振動が発生。キョウは感覚的に危険を察知、大きく空へと飛び退く。
 同時にキョウの術式が着弾、その着衣と滑らかな肌に炭化の傷痕を残すが、少女は気にも留めずに術式干渉を続行。
 大地に残留した干渉力が、無数の干渉力弾へと変化。
 通常は与えられる変換の指向性を無く放たれた干渉力は、ただ対象をソレからソレではない何かへと変換させるためだけにキョウへと猛襲する。
 並の術士が使ったところで、無軌道な干渉力は意味を成さず消滅するが、圧倒的なポテンシャルをもつ少女の莫大な干渉力は、ただ放たれるだけで凄絶な威力を発揮する。
 障壁が相殺され石柱が皮膚に触れるかという瞬間、キョウの精神内部より莫大な干渉力が顕現、集束され、術式が超速組成展開。
 少女も身の危機を感知し、刃に干渉力を集束、術式を急速組成展開。一切の誤差無く同時に発動した術式は、干渉力を集束して放たれた、源素変換の術式。
 純粋な、力と力のぶつかり合い。
 光など遥かに超え、時の縛鎖すら破壊した二条の神術が激突。
 創世の大爆発すら子供騙しに思えるほどの言葉に表せぬほどの衝撃が拡散する寸前、キョウと少女の障壁が押し留め集束、拮抗した力が一切の妥協無く互いを喰らおうと放たれ続ける。
 その力は互角、否、僅かばかりに少女が上回っている。
 両者が分析を纏めた時には既に、キョウの渾身の一撃が打ち払われ、絶望を生む大干渉の一撃がキョウを包み込む。感じるのはただただ圧倒的なばかりの干渉力の振動のみ。
 少女の一撃が、キョウを斬り裂く。
 キョウの術式によって、ある程度は減殺された術式も、それでも無数の世界を破滅に導いて尚、余るほどの衝撃がキョウの身を走る。
 意識の断絶すら許されぬ、煉獄の激痛の中で、キョウは最後の術式を紡ぎはじめる。
 しかし、術式は組成の中途で停止、未完のまま、大地に両の膝をつく。
 初めて味わう敗北感。
「その精神核(ロザリア)、もらうよ」
 ここにきて、ようやく少女は口を開き、音で意思を伝える。
 それは非情の一言。
 少女は宣告通りに巨大な術式を紡ぎ始める。
 源素の第五態である精神の根底、その本質である精神核(ロザリア)は干渉力の源でもある。
 術士によっては擬似精神核(ユーリバトゥス)と呼ばれる補充術具を用いる者もいるが、もっと単純な方法もある。
 他者の精神核(ロザリア)との合一。
 人工的に製作された擬似精神核と生命が生み出す精神核ではその能力の差は明白。
 精神核を吸収するというのは、エネルギーを取り入れるのと同じ。
 もし自らのキャパシティを越える力を吸収すれば、逆に自分が吸収されてしまう。
 その中でも、キョウのソレは超級の干渉力を秘めている。
 それは全てを吸収することは愚か、その一部でさえ、受け切ることは常識的には不可能なことである。
 しかし、少女が常識の枠に入るわけが無いということはキョウも理解している。
 キョウは初めての敗北感と共に、諦める、という単語を感じた。
 だが、それが終わり、ではない。
「まだ終わり、じゃあない」
 キョウの伯刃は、視覚上の変化は無いまでも、先程までの威光を失いつつある。
 だが、両膝が地面を突き放し筋肉が伸縮、戦闘の姿勢をとる。
 不可思議な現象。
 力のほとんどを使い果たした上、肉体はどんな面から見ても限界などとうに過ぎている。
 負けず嫌いの権能なのかとキョウは心の中で苦笑、同時に朱に染まった蒼白の表情に微笑が浮かぶ。
 あらゆる面に置いて、キョウを上回るかのような力を持つ少女だが、その実それが確実ではない。
 信念。
 笑ってしまうようなものではあるが、キョウは少女の刃に信念の存在を感じなかった。
 その有無による差は非常に大きい。
 戦う意思を与えるそれがあり、まだ立てる以上、勝機が無くなったわけではない。
「その身体で、まだ戦うつもり?」
「まぁ、見てろよ」
 笑みと共に、伯刃に力が戻る。キョウは纏った消滅の刃を更に展開する。
 キョウは干渉力が周囲の源素を集束、術式発動の起点となる伯刃へと流れ満ちる。
 問題は現在の被害状況比。素人が見たところであからさまにわかる状況の悪さから、勝率は限りなく〇に近い一〇〇パーセントであると結論。自分のものながら意味のわからない思考に呆れつつも顕現を開始する。
「まだ戦えるなんてね、正直驚くよ」
「正直者、は、得をする、と言うな」
 キョウの言葉に少女の口端が僅かに持ち上がる。
 同時に、少女は刃を自己流の型で構え、キョウの動きへ備える。
 一瞬の逡巡、少女は気付いたような表情で、静かに口を開く。
「ソレは……正気?」
 問い掛けに対し、キョウは無言の笑顔で回答。
 その表情が瞬間、驚きを含むが、次の瞬間には氷の静けさを取り戻す。
 キョウはいつになく集中、思考を纏め、術式組成を再開。今度こそ全身全霊を注ぎ込んだ超神術術式を展開、神器へと集束し、発動。少女へと目掛け刃を放つ。
「!」
 それは、極法の更なる極限。
 世界に満ちし、様々な状態の源素を媒体に、伯刃の術式効果を伝達、伝播させるという、一般指定されている戦略術式の威力すら鼻で笑うような、広域無差別消滅術式。
 その身の全てが一つの術式となりその干渉威力を絶対的なものへと増長している。
 極限の状況下にあるからこその、極限の術式。
 伯刃を自らと完全に同調させることで、伯刃そのものを自らの肉体に、自らの肉体を術式媒体としたのである。
 あらゆる存在は行動であったり、あるいは光の反射であったり、何らかのカタチで世界に干渉している。
 その、自らの肉体を構成する源素すら回した術式は、他の術式を逸した干渉力を振るうことを可能とする。
 逆接、それを失えば命の危険に晒されるため、そのような手段をとる術士は正気とはいえない。
 先程の術式激突を無と見ても問題の無いほどの干渉力。伝播する消滅の刃に、少女が紡ぎ、放ち返すは伝播の不可侵刃。
 双条の逆位術式が激突する。
 再び発生する精神の邂逅も両者は無視。展開を続けることにより、相殺しあう超然の刃が消えては生まれを繰り返す術式の輪廻。
 術式の衝突点では、二つの波の術式が互いに互いを打ち消しあう。
 完全に拮抗した、この術式の放ち合いは先に術式を止めた側の敗北。
 キョウにも勝機が見え始めるが、余計な思考を遮断し術式の超継続展開に全てを賭ける。
 残るは、精神力の勝負のみ。


 全ての刻が、その脈動を止めた無の世界。
 そこには、言葉や息遣い、心音すらも無い。
 意識が、まるで絵の具を適当に混ぜ込んだかのようにぐしゃぐしゃに攪拌され、収束する。


 沈黙を破り、甲高い音が響く。
 少女の神刃、精神結晶が周囲に対する広域伝播術式の相殺によって、過負荷となったのである。
 自らと伯刃とを一体化させたキョウと違い、少女の刃はあくまで武器だったということ。
 蒼銀の切っ先が、砕かれた大地に突き刺さり、結晶化が解かれる。
 だが、それは少女の敗北を意味するものではない。それを少女は、そしてそれ以上にキョウは理解していた。
 干渉力が完全に底を突き、伯刃が光杖となって霧散する。
 敗北。
 奇跡は起こらない。
 いずれ、存在する限り絶対にやってくる終焉。それが速いか遅いか、長いか短いか。生など、そんなものだ。
 彼は、他者の一生よりも遥かに充実した生を歩んできた。しかしそれでも心残りは少なくない。
 不意に、キョウは少女の氷柱の如し立ち姿に気付く。
「俺の精神核(ロザリア)を持っていくんだろ?」
「一つ聞かせて、この戦いでアンタを戦わせたのは、何?」
 少女の疑問がキョウにぶつけられる。その問いはあまりにも的確だった。
 実際、キョウも気付いていたのだ。恐らくは初めから、その予知ともいえる感覚で。
 しかし、キョウは戦った。死を超える苦痛の道を選び、結末を知りつつも、それを変えようと。
 キョウは軋む全身を無視し、無理矢理に笑みを浮かべると、純粋な想いを言葉に紡ぐ。
「答える代わりに、一つ頼みを聞いてもらいたい」
「……頼める立場だと思う?」
 静かな少女の回答にキョウは微かに笑みを浮かべ、少女の問いに答える。
「俺は適当に、楽しく、面倒なことはしないで生きる。それを信念にして今まで生きてきた。それだけが俺の行動原理だ」
「他者がどうなろうと構わない、と?」
 言葉に非難も軽蔑も含まれていない。
「その他者、というのが見ず知らずの人間を意味するなら、それはイェスだ。どうでもいい。でも、身内だけは違う。喜びも哀しみも何もかも共有して、一緒に楽しめる仲間。それだけはどうあってでも、護る」
 少女は初めて生物らしい表情浮かべる。それは何の着色も無い、驚愕。
「……なら聞く。アンタの頼みというのは何?」
「俺の精神核(ロザリア)はやる。だから、俺の身内を護ってやってくれ」
 キョウには既に、立ち上がるどころか声帯を振動させ、声を出すことすら出来なくなっていた。
 口内に入った砂利の、無機質な味が失われ、味覚が停止。
 周囲に漂っていた、蛋白の灼ける匂いが解らなくなり、嗅覚が停止。
 眼前が暗闇に覆われ、視覚が停止。
「そんな面倒くさいこと、自分で……」
 少女の呟くような声も途切れ、聴覚が停止。
 何か柔らかな感触を抱くが、触覚も停止。
 残ったのは第六感、超感覚。既にほとんど失われていたそれが強大な術式の行使を確認。溶け込んでいく自分の精神。
 そして、それすらも感知できなくなり、超感覚の停止を確認。
 キョウは、自らの死の感覚を感じ、その意識を深く深く深淵へと沈めていった。


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