好きなのに殺すのか。
 好きだから殺すのか。
 殺害は、愛の究極系の一つであり、独占欲が極地に至ったものだろう。
 では、私の場合はどうだろうか?
 好きなのに殺すでもない。
 好きだから殺すでもない。
 そもそもが、逆かもしれない。
 殺せるからこそ、私達は好き合い、愛し合っているのではないのか。
 いや、それはキッカケにしか過ぎない。
 私達が共にある理由はもっとずっと、非合理的で、無意味で、単純で、そして重要なことだ。
 そんな無意味な感傷すら抱くのは、やはりアイツがいないからだろうか。
 私にはアイツが必要だ。
 アイツには私が必要だ。
 自惚れではない、確たる根拠を元とした断定。
 だからこそ、私は――




¢虐殺少女(スローター・ガール)¢




 辺りを見回す。
 時刻は深夜、三時半。
 八割田舎の神領市では、この時間に外を出歩くものは少ない。
 東神領公園。
 神領市最大の公園であり、固有種であるジンリョウザクラで有名な、桜の名所。
 跳躍する。
 なんの踏み切りもなく、その身体が跳ねる。
 蜻蛉のような鋭角的な動きではなく、蜉蝣のような飛翔。
 その細い指が数輪の花が咲く高枝に触れる。
 特に何かがあったという風ではなく、ごく普通に着地。
 次いで、重力に従って落下してくる枝をキャッチ。
 その断面は引き千切れるなどといった無粋なものではない。
 刃、それも名刀と呼ばれる類もので、達人が切ったかのような滑らかな切り口。
 しかし、そんなことを指摘する者はいない。
 一重咲きの花をペン回しのように軽く回し、右手の中指と人差し指で挟み込む。
「帰ろっかな」
 美しい花弁に満足げな笑みを浮かべ、誰もいないはずの闇に向けて声を投げる。
 瞬、と、空気が裂ける。
 驚いた様子も無くステップ。元いた場所の地面が、埋葬前の墓穴の如く大きく抉られる。
 慣れた動きで足元の小石を蹴り上げる。その高さはおおよそ十メートル。
 小石が最頂点に達し、落下を始めたのを合図に、少女は自らの思考を一新する。
 思考を高速化。
 疾駆。
 人間の身体能力的にも、生物の構造的にも勿論、物理的に不可能であろう速度で。
 現れる襲撃者は、茶色の短髪に赤味がかった双眸。
 放たれる剛撃。
 陰の側面に満ちる遊離霊子を確定変換、光を反射しない不可視の重槌が横薙ぎに少女を襲う。
 不確定・不安定な状態の霊子、遊離霊子はあらゆる点に存在する。
 それは通常観測されることはなく、科学的視点であれば存在しないも同義である。
 無からの有の創造。
 質量保存の法則という、世界の大前提を完全に無視した異常識の法――術式。
 しかし、少女はそれを難なく避ける。
 再三、再四、繰り返される連撃の、その一つとして彼女に触れさえしない。
塵は塵に(ダスト・トゥ・ダスト)
 それは聖書の一節。
灰は灰に(アッシュ・トゥ・アッシュ)
 それは小さな呟き。
歯向かう奴は(レベル・トゥ)……」
 少女は笑みを浮かべ、聖書に無い言葉を紡ぐ。
無に(ナッシング)
 信仰など無意味と言わんばかりの口調で締める。
 有からの無の創造。
 即ち、それは消滅。
 空間に数点を定め、その間の霊子を不確定、かつ不安定な状態に強制変換する、超異常識の法。
 物質の一部分を消し去れば、その存在との結合は失われる。
 熱によって発泡スチロールを溶かし切る、発砲スチロールカッターの如く、生じるのは切断という結果。
 茶髪の男の右肩に、八つの点で結ばれた面の如し極薄の立体が顕現、消滅、切断。
 男の苦痛の声を気にも留めず、更なる追撃。
 身体は男に近寄らない、そもそも近付く必要が無い。
 左腕、左足、右足。
 四肢を失った男は、まさに恐怖を絵に描いたような表情を浮かべるが、少女はそれに何の感慨も浮かばせず、内臓を消し切る。
 肝臓、膵臓、脾臓、大腸、小腸、胃、十二指腸、心臓。
 消滅の刃によって、ほぼ液状と化した内臓が口から流れ出る。それを止めるだけの力も、男には残っていない。
 最後に首を、そして脳を消断。
 完全無比に殺し尽くされた男の体に、小石が落ちる。
 先程、少女によって蹴り上げられた小石。
 それが地面に落ちるまでの、ほんの僅かな時間で行われた虐殺(スローター)
 右手の桜はそのままに。
 一滴の返り血すら浴びることなく。
 少女は満月の下、笑みを浮かべ続ける。
 それは狂笑ではない、喜悦の笑みでもない。桜の美しさに対する、純粋な笑み。
 彼女にとって、男の死は思考に値するものですらない。
 空いている左手を男の方へと向け、虚空を掴み上げる。
 すると、その動きに連動して男の首が持ち上がる。
「私には神の信仰は無理だなぁ」
 苦笑し、少女は手に掴んだ虚空を手首のスナップだけで投擲、それに連動した男の首がバスケットボールのパスのように撃ち出される。
 鈍い音。
 何も無いはずの空中で、男の首は運動を止めていた。
 肺から無理矢理空気を押し出したような音が周囲に響く。
 全方位から同時に響く音は、少女に自らの位置を悟らせない――はずだった。
不可知(インレコグニション)かな?」
 世間話をするような、ごく軽い口調で少女は述べる。
 疑問系の言葉の語調は、しかし問い掛けではなく、確認に近い。
 その視線は虚空に向けて、しかしある一点から揺るぐことが無い。
 不可知(インレコグニション)
 不可視(インヴィジブル)不可聴(サイレント)などの認識阻害術式を複合させ、効果対象を周囲から認識不能にする術式。
 その性質上、他の術式との平行使用は不可能ながら、隠密型の術式としては最高峰のものの一つとして上げられる。
「いや、そもそもアンタみたいな術士は私とは破滅的に相性が悪いって理解してるでしょ」
「な、に?」
「見えなくとも、聴こえなくとも、私には意味が無いんだから」
 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚といった五感とは別の、全能感覚器(オムニセンス)
 識覚(シキカク)と呼ばれる感覚。
 視覚は視る、聴覚は聴く、嗅覚は嗅ぐ、触覚は触る、味覚は味わう。
 そして、識覚は識る。
 頭の中に世界を構築し、その状況を完全に認知する。
 特殊感覚と異常演算能力によって、未来の事象すら予知することを可能とする。
 全ての記録(アカシック・レコード)と呼ばれるものの原型となったとも言われる能力。
 たったの二例しか確認の成されていない、超稀少能力(レアスキル)
 受動型の異能として最高のものの一つとされるその異能は、神の瞳、神眼。
「消滅の刃は強力だけど、詠唱という致命的な隙を持っている。故にわかりさえすれば倒すのは簡単、と?」
 不可知の男の思考を先読みし、少女は呟く。
 でも、と逆接で繋ぎ。
「詠唱なんて、いらないし」
 その瞬間、不可知のはずの人間はこの世から完膚なきまでに消滅した。


 *


 神眼の異能は脳や精神に過剰な負担を強いる。
 もし仮に常人が使用などすれば、刹那の間すら置かずに、その両方が磨耗しきってしまう。
 だが、それはあくまで仮定の話。
 神眼の異能を持ち備えるものは、常人などではない。
 いや、そもそも――


 *


「……眠」
 目が覚める。
 起き上がり、見回すと視界に入ってくる透明な花瓶。
 挿してあるのは一本の枝。
 彼岸桜特有の一重咲き。
 しかし、その横には何故かモウゼンゴケが置かれており、趣も何もあったものではない。
 誰一人として『女の子らしい』と形容しないその部屋は、それこそ探してみなければ少女らしさというものが見付からない。
 物の一つ一つを見るのであればすぐに見付かるが、取り合わせのセンスが少々特異だ。
 洋服箪笥かと思えば、引き出しの中にあるのはドイツ箱という密閉性の高い木箱。
 中に収納されているのは洋服――などではなく、昆虫の標本。
 当然といわんばかりに、その全てには細緻な文字でラベルが書き込まれている。
 この部屋の中で、最も少女らしいモノといえば、結局のところ少女自身である。
 だが、深淵を写し取ったかのような滑らかな黒の長髪は、寝癖のままにところどころが跳ねている。
 常時ならば凛とした意思を感じさせる漆黒の双眸も、まどろみから抜け切ってはいない。
 立ち上がる。
 その身長は一七〇センチ弱。女性としては高いといえる。
「えっと……」
 時計を見ると、時間は七時過ぎ。
 年頃の女子としてはそろそろ準備をしなければ学校に間に合わないのだが、彼女にそのようなことを期待する者はいない。
 針山地獄を想起させる裁縫用の針山から、数本の針を抜き取る。
 上部に小さな玉の付いた、玉針という針だ。
 しかし、彼女に裁縫などという可憐な趣味は無い。そもそも全く似合わない。
 桐製の台。薄い直方体の形状。その中央には細い溝が走り、底板にコルクが貼られている。
 展翅板。
 鱗翅目や蜻蛉目の昆虫の羽を広げ、形状を整えるための標本作成器具。
 彼女の机の上に置かれた展翅板の上に置かれているのは、翅の濃い紫色が目を引く一頭の蝶。
 日本の国蝶、オオムラサキ。
 南西諸島に生息するオオゴマダラを除けば、日本のタテハチョウの中で最大の種類。
 以前、東神領公園で採集したものだ。
 両翅を押さえつけているトレーシングペーパーの下端に刺された二本の玉針を抜き取る。
 ゆるやかに力を込め、ピンと張った状態で再び留める。更に、翅の近くにも数点。
 手慣れた作業に揺るぎは無い。
「さて、と」
 呟き、寝間着から制服へ。
 その所要時間、僅か三十秒という早業。
 跳ねた髪を適当に手で梳かし、前日から中身を入れ替えていない、入れ替える必要の無い鞄を手に取る。
 階段を下り、すぐさま靴を履き替える。
 少女は、一人暮らしにはいささか広すぎる家を満足げに出ていった。



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