《青天の霹靂/竜姫物語》



 多種多様な人々でごった返すアルトロポダの街の中心を歩いていく青年。
 その足取りは慣れたもので、休日ゆえの密集した人通りも全く意に介さない。
 暑季特有の、熱を含んだ風が通りに吹く。
 熱風は人々の体温によって更なる高温となって小道へと抜けていく。
「暑ぃ……」
 溜息と共に呟きつつも、その歩みは変えない。
 幾分か歩き続け、流れに乗ったままであれば十数分かかるはずの道のりを数分で走破する。
 勿論、誰一人ともぶつかってなどいない。
 他者に迷惑をかけたくないという気遣いからではなく、単純に因縁をつけられたくないという気持ちからの行動だ。
 彼――桐生(キリュウ)(ノボル)は世間一般からすれば、まだ学生であるべき年齢だ。
 相手の気性が荒かったり、あるいは妙な奴であれば、裏道に連れ込まれて血を見ることになるのだから。
 それを承知で大通りから外れ、細い道に入る。
 道と道とが複雑に入り組んだアルトロポダでは、大通り同士を結ぶ小道は、主に近道として利用される。
 見るからにガラの悪い中年――外見からして年齢は二百といったところか――がニヤニヤした顔つきで昇を見ている。
 嗚呼、これはヤル気が、もとい殺る気が――あるヒトだ、と昇は小声で呟く。
 大通りにどれだけ活気があったとしても、脇の小道の治安がソレに及ばないのはどんなところでも共通だ。
 学生は国からの補助があれど、肉体も全盛からはかなり離れた状態となる二百歳台は、それまで経験や実績を積み重ねていなければロクに働きクチも無い。
 術式が今ほどに汎用化する前であれば、仕事さえ選ばなければ多くあったのだろうが、最近は術式による効率の向上で、本当の意味での実力主義となっている。
 どんな仕事をするにもしようの無い彼らは、結局のところ浮浪者やゴロツキ、或いは死体になるくらいしか道がない。
 男はいいカモがきた、とでも思っているのだろう、が、昇は一歩、大きく踏み込む。
 刹那、小路に閃光、続いて鮮血。
 支えを失い倒れ始める中年の胸板を蹴り落とし、何も無かったかのようにして昇は小路を抜け大通りへと出る。
 人通りの少なさは小路ほどではないが、それほど多くも無い。
 先程の大通りと比べると、同じ道幅にもかかわらずやたらと広く見えてしまうのは仕方が無いことだろう。
 昇が扉の前に立つと、しばしして、観音開きの扉が開く。
 周囲の建造物がほとんど近代的であるにもかかわらず、数千年ほど時代を錯誤しているのではないかと問いたくなるような見た目古き店舗。
 ピドニアというのがこの店の名前である。
 初見であれば入店を躊躇ってしまうような店に、昇は一切躊躇う素振りを見せず、店に入っていく。
「……相変わらず臭いな」
「開口一番、言うのはそんな言葉か」
 店員の客に対するものとは思えない口調だが、こんな奇妙な場所に来るのは常連客くらいだ。
 当然、昇もその一人であり、店員――太刀華(タチバナ)壬奈樹(ミナキ)はそれ以前に、昇の友人でもある。
 カリキュラム管理のために完全に統合された学院は、どの地域であっても場所以外の違いは無い。
 都市の名前を冠して何々校、とすることはあれど、学院はどこであっても学院であるが、壬奈樹と昇は共に、このアルトロポダの学院に通っており、専攻教科も似ていたために親しくなったのだった。
 学院は三年前、第十一学位で中退した昇だが、壬奈樹はその年の卒業生、昇からすると四年上の先輩であるが、年功序列などという言葉は全く気にしない。
「それで、何の用だ?」
「いつも通り。何か目ぼしいモンはあるか?」
 ピドニアは術式専門店である。
 それも、店舗の見た目どおり、相当の老舗だ。
 客の入りを見ると老舗というよりも単なる年代物に過ぎないとも言えるのだが、どこから仕入れのための金を出しているのかわからないほどに、毎日毎日、様々な場所で手に入った特殊な物品が入荷される。
 日進月歩、ともすれば一季の内に新商品が時代遅れになる術式具だというのに、この店は見た目は兎も角、品物の時代遅れは無い。
 昇がここによく通っているのは、壬奈樹がいることと品物が豊富であるだけではなく、客があまりに少ないため、品薄になることがないという、店の側からしてみれば複雑な理由によるものだった。
 とはいえ、そもそもこんな人通りの少ない場所に立地し、更には認識阻害の術式によって可能な限り見付からないようにしているという、どうにも商売意欲の見られないこの店にとっては当然なのかもしれない。
「とりあえず仕入れはしたが、どうにも微妙なモンばっかだよ。サエキのは他のと比べれば確かに随一って言えるが、先季のものから大幅な性能アップと銘打って、その実干渉補助率が〇・三パーセントも変わらん。いくら現段階で技術進歩が打ち止めになったからといって、これは最早詐欺の域だな」
「値段は?」
「驚くこと無かれ、二倍だ。まぁ、使ってる部品も大して変わらんし、ボロが出る前に安くなるだろう」
 昇の問いに答えながら、壬奈樹は棚から一つの玉を取り出してそれを昇に投げる。
 術具の大半はこのような球を核として持っており、それら擬似精神核(ユーリバトゥス)が使用者の干渉力を増幅、或いはその方向性を決定する。
 擬似精神核が、主に球の形状をとるのは、球が中心から外殻までの距離がどこでも等しい、理想的に安定した形状であるためである。
「しかしなんというか、術式が無かった頃のヒトビトは凄いと改めて感じるよな」
「……また随分と唐突なことを言い始めるな」
 壬奈樹のぼやきに昇は苦笑しつつも頷く。
 かつて、俗に二側面説と言われる御門(ミカド)の説は、世界を概念的に二つに分けた。
 世界を観測可能な物質の存在する陽の側面。
 そして、観測不可能な、物質ではないモノが存在する陰の側面。
 世界の真理に近付いたであろう彼は、更なる《世界の在り方》についての説を述べた。
《世界の全てはある存在によって構成されている》
 彼が提唱した《世界の在り方》は様々な書籍や資料で説明が成されているが、そのほとんどはこの一言からはじまっている。
 それは今、彼の提唱した二側面説と並び、何を置いてでも万人の知る、常識の中の常識となっている。
 源素。
 世界を形作る源たる素。
 それは、陰と陽、どちらの側面に在るか、また、その状態が安定しているか不安定であるかによって、第一から第四までの《態》に区分され、それが全ての世の、何一つ残さない全てを構成しているとした。
 現在は、そこに精神たる第五態と、それら全ての根源たる第零態の存在が認知されているが、それでも彼の主張の大筋は、彼の死後長い時を経た今でも変わってはいない。
 そして、御門によって、源素に干渉する術――術式――が生まれたのである。
 現在第五態とされる精神が潜在的に持ち備える、源素への干渉能力を指向性を持って放出することで存在に干渉、自然状態ではありえることのない現象を発生させる。それがあらゆる術式の根底に存在する原理である。
「まぁ、戯言(たわごと)はこの辺りにしておいて、少し面白い話があるんだ」
「それってまた恭が本気になるような、そういう案件か?」
 昇は祭り事好きの幼馴染の名前を出す。
「いや、お前らが好きなのはハタ見臭いくらいの友情劇だろ? そういうのじゃない」
「別に友情劇が好きってわけでもないだろ。単純に身内に甘いだけで、他人の友情劇を見ても興味を持たない奴だし。で、その内容って?」
 ニヤリ、と笑って壬奈樹はズボンのポケットから術式端末(デヴァイス)を取り出す。
 この端末は、数十年前から保有が義務付けられ、現在では個人認識標や財布、通話、ネットワークへの接続などといった機能を持っており、今でも様々な機能が日に日に追加されている。
 昇も自らの端末を取り出し、送信される情報を受信する。
 虚空に映し出されるモニターには、一本の剣。
 概形は一般的なクレイモア、といった感じなのだが、異様なのはその装飾。
 金色の刀身に取り付けられた、無数の宝石の数々。
 昇の知識は、ソレが何であるかを一瞬で判別する。
「何だコリャ? 擬似精神核をこんなにくっ付ける意味あるのか?」
 豪奢に備わった宝石は、その全てが擬似精神核である。
 驚きよりも呆れの強い様子の昇に、壬奈樹は嬉しそうに笑みを浮かべる。
滅魂具(ソウルイレイサー)って知ってるか?」
 昇は首を横を振る。
「第五態を第一態に変換する術式を内包する術具の総称なんだと」
 その言葉で昇は眉を潜める。
 第五態を第一態に変換する、ということはつまり、精神を観測不能の不安定存在に変える、ということだ。
 それは見掛け上の消滅を意味する。
 多様な効力を持つ術式の中でも、第五態に干渉する術式は少なく、そのどれもが高位の術式にカテゴリされる。
 その中でも、第五態を別の態に変換する、というのは更に難しい部類だ。
 根源存在である第零態への干渉は更なる難度を誇るが、そんなことが出来るのは完全な異常者(イレギュラー)なので基本的に考慮に入れない。
 術具に術式を内包するということは、干渉力を無軌道に術具に流し込むだけで術具がその方向性を決定し、内包した術式を組成無しに発動させることが出来る、ということであり、やはり高い技術が必要である。
 第五態への干渉術式を内包する術具など、伝説級の逸品である。
「恭の源素還元の紛い物、とはいえ極法の一歩手前を術具に内包するなんて馬鹿げたもんだが事実らしい」
 極法、と呼ばれるのは術式の極致たる法、つまりは術式技術の終着点であり、同時に術士にとっての夢。
 勿論、そう簡単に到達できる高みではなく、公式には極法に辿り付いた者は無い。
 その一つが源素還元と称される術式だ。
 いかなる状態の源素であろうとも、ソレを根源状態(カオス)に変換する、見掛け上どころか事実上の消滅を行う脅威の術式。
「まぁ、確かにコイツは凄まじいかも知れないけど、別に極法の術具だって一本や二本あっても不思議じゃないだろ。それがなんで面白いなんてことになるんだ?」
 あのド派手な剣に備えられた無数の擬似精神核も、内包されている術式が極法級の術式であると言うことから考えれば至極必然である。
 極法には難易過ぎて不可能なもの、使用する干渉力が異常なため不可能なものなどがある。
 源素還元の術式はその両者に該当するのだが、恐らく滅魂具に内包されたものも同様だろう。
 恭は尋常ではないポテンシャルでそれを可能にしているが、滅魂具は多量の擬似精神核でそれを補っているのだろう。
「珍しいものが出たと気になって調べてみたら、驚くべきことに同様の術式を内包した術具が、八振りも見付かってな、なにかあるとは思わないか?」
「確かにそりゃ異常だな、製作者は誰だ?」
「わからん。片手間の興味本位じゃ限界もある。現状でわかってるのはそれが極法級で八振りあるってだけだ。もっと詳しく知りたいんなら、飛ばすが」
 飛ばす、というのは壬奈樹の得意とする術式を意味している。
 肉体的に鍛えておらず、強化系の術式も得意でないことから前線での戦闘は不得手な壬奈樹は、あっさりと夢を諦めた。
 不定士。特に専門分野を持たず、あらゆる依頼に臨機応変に対応する、いわば何でも屋のような存在。
 年頃の少年少女が夢見る、人気の職業の一つであり、壬奈樹もソレに憧れた少年の一人だったのだが、壬奈樹はそれを早々に切り上げたうちの一人でもある。
 しかし壬奈樹には中途半端に才能があった。
 自らの精神を精神核から遊離させた状態で操作が出来る、という先天的で稀有な才能が。
 結局、今では家業である店の手伝いをしながら、その才能を利用し、友人を相手に小銭を稼いでいるのだった。
「うーん。まぁ、ボチボチと頼む。それほど本腰入れてくれなくていいから」
「……また中途半端なことを言うなぁ、先輩甲斐のない奴だ」
「先輩甲斐って何だと問いたいところだが、遅く帰ったせいで機嫌の悪い寝覚めの縦羽(タテハ)に遭ったりしたら嫌だから帰る」
 そう言って、昇は店を出、軽い足取りで駆けていく。
 早く帰ったって遭うものは遭うんじゃないか、という壬奈樹の言葉は昇に届くことなく、微かに埃の香りのする店内に消えた。


 *


「ただいま」
 玄関のドアを開け、一歩。
 身に纏う衣服を源素分解し再構成。藍色の外出着が一瞬にして同色の普段着に変わる。
 お帰り、という声は無いが、それは予想通りのこと、昇は気にすることなく歩を進める。
 二階に上がり、居間(リビング)に置かれたソファを見ると、一人の青年が横たわっている。
 肘をついて術式端末(デヴァイス)の情報ページを読むその漆黒の双眸はいかにも気だるげだ。
「どうかしたか?」
 その容貌とは裏腹に、だらしなさが前面に押し出された声が昇に掛けられる。
 十数年来の友人の相変わらずの覇気の無さを無視し、床に胡座を組んで座り込む昇。
「三人は?」
「縦羽は部屋で寝てるし煉は買い物。律はそろそろ依頼者が来るらしいから客間にいるけど」
 そう言って青年――恭はソファから起き上がる。
 恭と昇、そしてもう一人、やはり同居者である煉は、生まれた時からの友人同士、つまりは幼馴染である。
 便宜上の姓はカワカミだが、そんな呼び方をされることは滅多に無く、それどころか恭を知る者であってもカワカミと言われてすぐに出てくるものでもないという。
 昇自身、短い付き合いではないと言うのに、今までで恭をカワカミと呼んだことがほとんどない。
 それは当然と言えば当然で、たまにからかう時に言うくらいである。
 そもそも、昇も恭ほどではないながらもキリュウ、という姓を名乗ることが少ない。
 ともあれ昇にとっての幼馴染である恭は、面白いことに対してその興味を全力で向ける。
 生物的な意味合いで超越者とされる彼だからこそ、興味の無いことに力を入れず成功し、興味のあることに力を入れ、大成功する、という真面目に生きているのが莫迦らしくなってくるほどの生き方が出来ている。
 ちなみに、昇がピドニアに行ったのも、元々は恭に術具の発展やらなんやらを見てくるという使い走りを頼まれたためだ。
 至極平凡な家庭に生まれた昇と、術式の名家に生まれた煉、そしてそもそも根底から異なっている恭という、全く立場の違う三人が幼馴染となったのは運命というのか奇跡というのかわからないが、彼らはそれを口に出す理由がないからこそ言いはしないが、三人が三人、幸運であったと感じているのは間違い無い。
 三人の中で常に先陣を切って行動をしていたのが恭だ。
 または我侭を言い張りあってその結果、恭が勝っていただけだとも言えなくは無いのだが、それはあくまでも、嫌ではなかったからこそ続いたのだろう。
 もしそれが力だけによる独裁的なものであれば、既に決別しているはずである。
 結局のところ、彼らは似た者同士の、類友なのである。
「やっぱり外は暑いか?」
 会話のネタが見付からなかったのか、唐突に問い掛ける恭。
 恭が唐突なのはいつものことなので驚きもせず、当たり前だと言わんばかりに手で扇ぐジェスチャーをする。
「暑季も真っ只中、暑いのは当然だろ。つうか無尽蔵な干渉力で大気を冷却している部屋で何もせずに寝転がってる奴に言われるとムカツクな」
「阿呆、冷やしてるのも俺だ。何もしてないわけじゃない」
 極法の使い手である恭にとって、室内の温度を制御することなど、無意識の内に恒常的に行うことが出来る程度の仕事に過ぎない。
 屁理屈のような恭の言い分に、昇は反論を諦める。
 恭は戦闘と口論では滅法強いのだ。
 その両方で恭を軽く打ち負かすのは、現在自室で眠っている、災厄そのものともいえる強暴なる悪鬼、縦羽くらいだ。
「あ、そうだ。壬奈樹が面白いことがあるって言って教えてくれたんだが」
「ん?」
 と、恭が聞き返したその時、二人は無音の声が精神に直接語りかけてくるのを感じる。
『恭に昇、依頼人が来たから降りて来い』
 彼らの会計役――(リツ)の声であることはすぐにわかった。
 束の間、では断じてなかった休息から抜け、恭の視線が僅かに鋭さを取り戻す。
 そして二人は応接室のある一階へと降りていった。


 *


 客間に置かれたソファに依頼人として座っていたのは、昇達よりも歳の低そうな少女だった。
 滑らかな金色の長髪は、黒と金の違いこそあれ、どこか上で寝ている縦羽に通じるところがある。
 その年齢からしては奇妙なほどに、少女は可愛い、という形容よりも綺麗、といった言葉の方が似合う、生粋のお嬢様、と言った風貌。
 昇や恭、縦羽は今年で十九、不定士業界から見れば、異常な若年集団である。
 本来であれば学業に勤しんでいるべき年齢である恭達がこのような仕事に就いているのもおかしいのは勿論だが、彼らは高い精神潜在能力(ポテンシャル)を持つ完全な例外(イレギュラー)だ。
 彼らは、自分達よりも若い者から依頼を受けたことがなかった。
 そういった若い者ならば、そもそも彼らのような職種に憧れこそすれ、実際に依頼を行うというのは奇妙である。
 彼らの営む、不定士のチームは他にも存在するし、わざわざ彼らに依頼することもないだろう。
 少数精鋭という名目の、身内だけの仲良し組織。
 特に名は無かったが、呼称に困ると言うことから、彼らのチームにつけられた名称がチャリクロミニ。
《双条の無双》を含む彼ら、チャリクロミニに依頼をする、ということは、その内容が相当に厄介なものであるか、あるいは絶対に成功させる必要のある仕事、ということだろう。
「さて、依頼内容をまだ聞いていませんが、どのような?」
 律は身内に対しては絶対に使わない、接客用の口調で問い掛ける。
 その言葉にややあって、少女は口を開く。
「今回貴方達に依頼したいのは、私の護衛です」
「護衛、ですか?」
 律は敬語口調のままで問い返す。
 妙だ、と昇も口に出さないながらも不思議に思う。
 本当に護衛の必要な身であれば、何故ここまで一人で来たのか、まずそこからしておかしい。
 他にも、少女の年齢やらなにやら、怪しい点が多すぎる。 
 この依頼、何か裏があるのかもしれない、と自然な様子を装って少女の一挙手一投足を見逃さないように観察する。
 その程度のことは律も気付いているだろうが、用心に越したことはないし、監視の目は多角的な方がいい。
「まず我々、チャリクロミニの方針を二点、説明します。その上で依頼するというのであれば事情の説明をして頂き、その後、金銭の話に移ります」
「はい」
 彼らは《金さえあれば基本的にどんな依頼でも受ける》という多くの不定業者の考え方からはかけ離れた考え方をする。
 むしろ、逆である。
 気が向かなければ仕事をしない、気が向きさえすればハイリスクノーリターンの依頼でも受けることがある。
 兎角、一言で表せば適当なのだ。
 それでも不定業者としてこの業界に居続けられるのは、律の卓越した話術と、彼が議員であると言う点からの信頼、そして何より、実力が認められているためだろう。
「我々チャリクロミニは、その活動に私情を大いに挟ませて頂きます。それが依頼に背く場合、御代は全額返却しますが、その点は十二分に考慮してください」
 私情を挟みます、などという不定士は珍しい、というかここ以外には一つとしてない。
 特殊と言えば特殊なのだが、どちらかというと異常と言った方が近いだろう。
 数秒の沈黙の後、律が少女を見据え、毅然とした表情で一言。
「それでもよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
 少女は俯いた顔を上げ、強い意思の篭った瞳で即答する。
「じゃあ、詳しい内容を聞かせてもらいたい。何に狙われているのか、どうして狙われているのか、と」
 敬意の欠片も無い様子で、壁に寄りかかった恭が口を開く。
 恭と縦羽は依頼人に対してであっても、君主に対してでも敬語を使わない。
 同時に、使われることも嫌うのだが、よくぞそんな不敬の二柱をトップに置いて今まで保ってきたものである。
「全く解りません」
「じゃあ、狙われてるって根拠は?」
 即座に切り返し、問い詰める恭。
 少女には、少なくともまだ気を許していないのだろう。その言葉は硬く、刃のように鋭い。
 恭は身内に甘い代わりに、それ以外の全てに対して厳しく当たる。
 少女は恭の質問に対し、僅かな逡巡を見せ、自分に言い聞かせるように頷く。
「親族全てが殺されました」
「その理由もわからない、ってことか?」
 えぇ、と小さく頷く少女。
 先程からずっとそうだが、その瞳は歳不相応に輝きを失っている。
 あまり思い出したく無いモノを思い出したのかもしれない。
「……まぁ、良い。わかった」
 事情についてはもう良いと判断したのか、恭は頷き、律に目配せをする。
 恭なりの気遣いなのだろう。
「金銭面での上限は?」
「前金に百、それに日当たり三十……いえ、五十万点出します」
 その額に、改めて昇は驚愕する。
 仕事内容自体は、少女の護衛、それだけ。
 単純な仕事であるにもかかわらず、その額があまりに異常すぎる。
 彼らは一般家庭から見れば随分と豪勢に暮らしているのだが、食費は多めに見積もっても一人の一食で万単位に達することは滅多に無い。
 つまり、それだけの金を出すことが出来て、尚且つそれだけの金を出す必要のある依頼。
 様々な意味で、怪しすぎる。
 しかも、恭が完全に乗り気であるというだけで、既に後戻りができないと言うことが昇にはわかった。
 チャリクロミニにおいて、依頼を受けるか否かは最終的に恭の判断によるのだ。
 その上、面倒な仕事を昇達に押し付けて自分はサボタージュなのだからタチが悪い。
「良いよ、その依頼を受ける」
 軽い口調での決定。
 恭の決定が変わったことは一度も無い。
 それに、受けたのならばチャリクロミニの名に掛けて下手は打てない。
 一瞬の間を空けて、恭が思い出したように手を叩く。
「そういえば名前を聞いていなかったな」
 名前を聞かないことにはどうにも呼びづらい。
 彼はあからさまに偽名の人間であっても依頼を受けることがある。
 と、いうのも、必要なのは依頼人の身元ではなくて、呼称だからだ。
 そういう昇や恭なども、律以外は世間に顔も本名も全く知られてはいない。
 こういう仕事柄、もし知られれば、今のようなのんびりとした生活が送れなくなることは必至だという恭の判断から、そういった情報の流出を一切シャットアウトしたのである。
「ルキ・フェイロンです」
「んじゃ、今後はルキと呼ばせてもらう。余所余所しい敬語は嫌いでな。そっちもタメ口で構わない」
 恭が、気に入った相手から依頼を受ける際に大体行われる儀式のような説明。
 この説明をしたということは、何を根拠にか、恭は少女――ルキを認めたということになる。
 無礼講もいいところだが、気の合った依頼者はリピーターになることが多い。
 そんな彼ら、チャリクロミニの得意先は国家そのもの。
 国軍も手を焼いた非生者を、恭は周囲の大地ごとそっくり消滅させたことがある。
 今ではそこに雨が溜まり、湖となって観光客も入っているらしい。
 昇からしてみれば、幼馴染ながら恐ろしい。
 律が議会員をやっているということもあり、国家からの信頼は十二分だということだろう。
「あの、これから私はどうすれば良いでしょうか?」
 もっともな質問。
 護衛となれば隠れて相手を誘い、討つか、もしくはわかりやすく周囲に附いて相手を牽制するか。
 どちらの方法もやったことがあり、成功している。
 彼らからすれば、大抵のものは力技で済むのだから基本的にどんな方法でも構わないのだ。
「じゃあ、まず……」
 恭は目を細め、溜息一つ。
「本性を見せろ」
 恭の言葉に昇は首を傾げる。
 この話に裏があるということであれば、何故恭は彼女を認めたのかがわからない。
 尻尾を出すのを待つのであれば、あまりに早過ぎるし、そもそもそんな小癪なことを考える恭ではない。
 恭の考えは後で聞くとして、昇は場の動きに注意を払いつつ、どんな動きにも対応出来るように身構える。
「……バレてましたか?」
 拍子抜けするような声で問い掛けるルキ。
 その言葉には敵意など欠片も含まれてはおらず、純粋に残念だと感じているらしい。
 ルキの瞳に生気が戻る。
「眼を見ればわかる。お嬢様ごっこは御仕舞いにしとけ」
「駄目だったかぁ……う〜ん」
 身構えた昇に気付いたのか、恭は悪戯っぽい笑みを浮かべて昇を見る。
 意味なく身構えていた自分が虚しくなり、昇は筋肉を緩める。
 律も当然のようにわかっていたらしい。
「敬語は要らない」
「勿論、そのつもり。でもこんなに早く見破られるとは思ってなかったな」
「いや、軽く目が死んでたから」
 恭の素早いツッコミにルキはそっかぁ、と無邪気に笑う。
 先程までの、育ちのよさを垣間見させる挙動が全て演技だとすれば、演技力は役者顔負けである。
「まぁ、敬語なんて堅苦しいからね。久々に使って疲れちゃった。理解のある(フレンドリーな)ヒトタチで良かった」
「そう言ってもらうと助かる。で、どうしたい?」
「この街は初めてだからさ、案内とかしてくれると嬉しいかな〜、なんて」
 この街――アルトロポダは様々なものが、というか、どんなものでもあるような、万物の坩堝だ。
 セラムビシドに多数存在する国の内、最大の国土を誇るアニマリアの中でも更に最も文明の繁栄したここは、世界最大の都市といえる。
 街の端から端まで、軽く過ぎるだけでも丸一日、少し見ていくのならば十日、じっくり見ると一年、全てを見ようとすれば一生を掛けても無理な話だ。
「ってことで、護衛兼案内役の桐生昇だ。宜しくこき使ってくれ」
 何気なく言い放たれた言葉に、律は苦笑し、昇は絶句する。
「ノボル、で良いの?」
「ん、あぁ、そうだけど……」
「じゃあ、早速行こ、ノボルッ♪」
 ルキはそのまま昇の腕を引っ張って外へと去っていく。
「何が、ってことで、だ! 脈絡無いし、そもそもお前ら少しは仕事しろって!」
 昇の悲痛な訴えが聞き入れられるわけも無く、昇はアルトロポダの街へと連れ出された。


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