瀞は何食わぬ顔で教室に入り、いつも通りに教室の後ろへ向かい、自分のロッカーから授業用具一式を取り出す。

 自分の席に座り、授業の準備を終え、すぐに隣の席の葉河に相談を打ちかける。

「なぁ、葉河」

「何だ? 瀞」

 いつもと変わらぬ会話の冒頭。

 だが、その内容はいつもと全く別のものだった。

「あのさ、ゲームとかで道端に女が倒れてたりしたら、どうするべきだ?」

「……とりあえず」

 瀞の言葉に、葉河は一瞬、両の目を閉じ、開ける。

 同時に一瞬の沈黙を破り、葉河が席を立つ。

「とりあえず?」

「学園長室に行こう」

 彼の名は御木川葉河。

 天性の洞察力の持ち主なのであった。

 

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第一章〜

 

 

 

 

 それは、ほんの数十分前のこと。

「先行くぞ。遅刻すんなよ」

 隣室の住人にして幼馴染、そして親友である瀞に対しそう声をかけ、靴紐くつひもを結んで悠々と歩き始める葉河。

 今の段階でようやく睡眠から覚めた瀞にそのような言葉は、文庫の裏に定例的に書かれる“落丁・乱丁はお取替えいたします”の文字と同程度の意味すら持たないことも、葉河は承知済みだった。

「う……ぅぅん」

 時刻は午前七時半。

 二人は、それぞれ別のマンションの角部屋住んでいるのだが、それぞれがまさに隣接しており、ヘリを伝って、漫画のように移ることが出来る。

 とはいえ、双方とも、両親が家にいるわけでもないため、秘密の出入りの必要はなく、ただの近道として使われているに過ぎない。

 そこから学校まで、所要時間は三十分弱、今出れば、八時からのショートホームルームにほぼキッカリ、到着する。

 そんな中、少年――蒼海瀞は、寝巻きのまま、布団の上に寝転んでいた。

 身体を起こし、ベッド右に置いた分厚い辞書で、頭を叩く――起床。

 友人が、勉強のために、と無理に購入させた英和辞書も、今ではただの起床用具となっている。

「ヤベッ! てか、何で起こさないでいくんだよ!」

 親友に理不尽な怒りの念を抱いたまま、風呂場へ向かい服を脱ぎ、シャワーから出る冷水を頭からかぶるという日常化した一連の動作を行う。

 ようやく、完全に頭が冴える。

 学校へ行くための行動で風邪をひき、学校を休むという何とも間抜けた経験を数回味わった彼は、すぐに準備しておいたタオルで水気をふき取る。

「ふぅ、これだから朝シャンは止められない」

 無論ながら、少年は今まで一度も、朝にシャンプーを使ったことはない。

 ふと、少年の頭に、一つの言葉が浮かぶ。

 ――遅刻

 少年が中学に入学してから何度も全く同じ工程を経、同様に遅刻している。

『学習能力の欠如、とか言ってみるって罠』

 それが葉河の出した結論だった。

 瀞は一応、前日に用意した空の学校指定鞄を手に取り、枕を入れる。

 騒がしい音を響かせ、少年は台所へ向かう。

 いつもと変わらぬ行動。

 冷蔵庫からエクレアメシを取り出し、頬張る。

 その全てを口内に入れる前に、少年は部屋を出た。

 いつもと変わらぬ通学路。

「……は?」

 そう、呟いた。

 不覚にも。

 少年の目の前には、一人の少女がうつぶせに倒れていた。

「ゲームみたいだな」

 思ったことをすぐに口に出してしまう。

 それは正直者であり、同時に馬鹿という意味である。

「……まぁ、どうせ遅刻だし。話くらい聞くとしようか」

 常にマイペースを崩さない瀞は、少女を抱える。

 俗に言う“お姫様抱っこ”のスタイルである。

 持ち上げて、初めてわかる“女性”である少女。

 柔らかな全身に華奢きゃしゃ四肢しし、そして何より胸の極僅かな膨らみ。

 思わず、顔がニヤける。

 状況を知らない人間ならば、少女誘拐ヘンタイにしか見えない。

 瀞は閉めたばかりのドアのカギを開け、自宅へと入る。

「てか、コイツ誰?」

 改めて見てみれば、“可愛く凛々しい”という表現が当てはまる美少女だった。

 ふと我に返り、少女から事情を聞こうと揺するが、反応がない。

 何度も繰り返すが、起きる気配は全くない。

 一瞬、嫌な予感が走り、その極僅かな膨らみに手を当てる。

「……心臓は動いてる」

 瀞は小さく、安堵あんどの息をつきながら呟く。

 赤点ギリギリ常習者おバカである瀞にとって、健全な男子高校生である瀞にとって、生死を確認しうる指標は心音だけなのだった。

 というか、世の男子生徒を代表してやってみた、という雰囲気が強いのは言うまでも無いのだが……

「仕方ないな」 

 すやすやと寝息を立てる少女を、瀞は優しくベットに寝かせる。

 その横に一枚のメモを残して、瀞は学校へと向かった。

 

 

 

 そして……

「何で学園長室なんかに行くんだよ……ってもしや! 遅刻日数が多すぎて、来年も一年決定なのか?」

「阿呆、お前の下らない例え話は恐らく現実。多分、可愛い女の子でも見つけて、部屋に監禁したはいいが、その後どうすれば良いのかわからない、といったところだろ?」

 合っているようで見当違いな発言の葉河に、瀞は反論する。

“監禁”と言う言葉に、年頃の男子、そして、女子は妙な視線で瀞を刺す。

「誤解を招くようなこと言うな」

「知ってる。だがまぁ、倒れた少女を発見。応急的に自宅に運び込むが、どうすればいいのかわからない。って雰囲気だろ?」

 瀞は葉河の勘の力に、改めて驚く。

 そう言えば先日『何かが起こりそうな予感』を感じていたのも葉河だった。

 現実味はないが、葉河を見ているとどうにも超常現象オカルトの存在を考えたくもなる。

「凄い、よくわかるな。でも、それで何で学園長室に?」

 至極当然の問いに葉河は静かに頷き、答える。

「“脳の判断よりも精神の意思を尊重せよ”聞いたことも無いか?」

「……無いけど、何の漫画の話だ?」

 葉河の話の中には、漫画や小説の言葉が含まれることがある。

 誰もが知る名台詞から、知っている人間が校内にいなそうなマイナーなものまで。

 ある意味、驚異的な記憶力の片鱗を見せている。

「即興だ」

 つまり、今考えた全く意味の無い言葉だという意味である。

 葉河のその発想が何処から出てきているのかはわからないが、曰く「いんすぴれ〜しょん」だそうである。

 随分と前衛的な発想のため、趣味や人望もあって生物部にいながら、演劇部の台本を書いていたりもする。

「あ、そ」

 日常的な反応に、軽く流す瀞。

「そこ、なーにやーらしーこと話してるの?」

 担任の生物教師、樺宮かみや瑞姫みずきが例にそぐわず、雑談を続ける二人に注意を促す。

 その言い訳に葉河が放った言葉は、何とも色々な意味で衝撃的なものだった。

「パッと見コイツに慢性的な急性末期ガンと若年性痴呆症の合併症の持病が発症してる雰囲気なので即興保険委員代理代行の俺が学園長室に連れて行きます」

 一息もつけずに言い放った葉河はその発言を残し、瀞の手を引き何とも手際よく教室から出て行った。

 残された級友達は、相変わらずな友人と担任に呆れと笑いを向けるだけ。

 何事もなかったかのように、授業は再開される。

 

 

 

「ここは……どこ?」

 少女は、布団の上に寝かされた自分を確認する。

 確か、自分は逃げていて、それで……

 その後のことは、よく覚えていない。

 状況が全く不明瞭。

「え? え? もしかして……監禁? イヤー!」

 叫んだ矢先、ふとメモが目に入る。

 そこには殴り書きで、暗号紛いの文字が書かれていた。

 家の前に倒れてたから連れてきてやった。

 聞きたいこともあるから、静かに侍ってろ

「『侍ってろ』って……?」

 少女はその言葉を誤字と流せず、気になって仕方なかった。

 

 

 

「てか、何で学園長室に行くのか聞いてないぞ?」

「ウチの学園長は頭が回る。そういう厄介事は奴に相談した方がいいからな」

 葉河の不可思議なまでの自信が、あくまで“勘”から来ていることこそ驚きの対象になる。

 更に、場面場面で大した意味を持たない行動に常に目を見晴らせているわけでもないのに、感覚的に思いつくのは、まさに“適当な”洞察の天才である。

 実のところ、この学園に瀞が入学できたのも葉河の要点チェック猛勉強のお陰だ。

 まぁ瀞自身、勉強をしないだけで、知能指数はそこそこあるのだが……

「って学園長……? 校長じゃないのか?」

 至極、自然な言い分。

 しかし、葉河は鼻で笑って対応するだけだった。

 

 

 

「“奴”は何処へ消えた」

 男が静かな、そして威厳に満ちた声が問いを紡ぐ。

「目下、捜索中です。“轟天ごうてん双戟そうげき”」

 呼ばれ慣れたその二つ名に、男は満足げに頷く。

 その二つ名に違わず、男の座る椅子には、剛大な三叉戟が備えられている。

「早々に発見、捕獲次第連れて来い」

 男の言葉に了解の意を表し、その双曲刀を備えた少年は闇に消えた。

 

 

 

「じゃあ、また後で色々と状況を送ってね。そしたら保護なり編入なり、対応取れるから」

 男の名は蒲原かんばら慈衛じえい

 神原学園中学高等学校学園長、通称“幻の学園長”である。

 何故かこの学校は、学園長と校長という、何とも重複する役職に人物が存在している。

 生徒に顔を全く見せず、集会時の演説も校長に全任、存在と職務が幻となっている男だ。

 葉河は学園長室に入るや否や、妙なことが起きたと伝え、瀞は一応状況を説明した。

 すると、学園長は驚くほどにあっさりとそれを受け入れたのだ。

 瀞にとって、何とも不思議なやり取りだった。

「……ってオイ、葉河は学園長と知り合いなのか?」

「うん。まぁな。学園長、慈衛は守璃かみりの紹介で会ってさ、気が合うからってことで交流があったんだ」

 それにしても“若い”

 そして美形である。

 見た目は十代後半にも見え、学生といわれても疑う者はまずいないだろう。

 この歳で学園長に就任したということはよっぽどのやり手か、またはボンボンだろう。

 そう思う瀞に学園長は一言。

「僕は普通に学園長だよ? 両親はヨーロッパで金物屋をやってた、極普通の境遇の人間」

 境遇の特異さ以上に、海外での金物屋の需要について考えたくなった瀞に学園長が話を続ける。

「あぁ、僕は基本的にタメでイイよ」

「一応、年上だということは理解した上で、罵詈雑言ばりぞうごんでも何でも吐け」

 妙に軽い口調の学園長に、相も変らぬ適当な言葉を付け加える葉河。

 どちらの表情も、立場的に本来あるべき厳粛げんしゅくなものとは程遠い雰囲気を放っていた。

「それと、もうじき一時間目も終わる。折角来たんだから、今日一日はサボってここでゆっくりするといい」

 オイオイ、と心の中でツッコむ瀞に、若き学園長は変わらぬ笑顔を向けていた。

 学園長が携帯を取り出し、女子校生張りの速さでメールを打つ。

 送信完了と見えた直後、奥の部屋から給仕服、俗に言うメイド服を着、扇情せんじょう的なスタイルを見せる美女が盆に乗せたコップと飲み物を置き、無言のまま足早に立ち去って行った。

 その様子に、葉河が小さく呟く。

「“冥土の土産”と言ったのを“メイドの土産”と勘違いできる人間を、俺は知っている」

「あの、学園長、今の……」

 どうにも的を射たような、外れているような葉河の発言を軽く流し、学園長に問いをぶつける。

「今の、何ですか?」

「慈衛でイイよ。本当は制服もメイド服にしたかったんだけどね。仕方ないから私服なんだよ」

 危険なテイストが詰まった慈衛の発言。

 瀞は両肩にその手を掛け一言、こう言った。

「その志、捨てないで下さい」

 歪曲した“男の浪漫”を延々と熱く語り合うことで、二人は妙な信頼関係を作り上げたのだった。

 二人が語り、葉河が眠そうに聞いていると、いつの間に時間が過ぎたのか終令のチャイムが鳴る。

「さて、お前らヘンタイ歪曲した浪漫ざれごとも聞き飽きた。帰るぞ」

「え〜、瀞君ともっと熱く語り合〜い〜た〜い〜」

 知らなければ――否、知っていても学園長とは思えない、子供のような反応。

 葉河は小さく息をつく。

 鈍い音が響き、葉河の拳が、慈衛を襲った。

「学園長を気絶させるなよ」

「まぁ、勘で」

 意味のわからぬ弁解の下、二人は他愛も無い雑談をしながら家路についた。

 

 

 

 少女は待っていた――否、指示通り“侍って”いた。

 何故あるかわからない、非実用的な制服コスプレの数々が押し込められた洋服ダンスからはみ出した袴と、言い合わせたかのように丁度良い場所に置かれた竹刀。

 不意に、鈴の音が聞こえる。

 それが家の主の帰宅を意味するということくらい、少女は知っていた。

「ただいま……って、起きてるか?」

 入り様に一言。

「あ……」

 目が合う二人。

 あのさ、事情を聞かせてくれないかな?

 と言う言葉は、喉の奥にしまわれた。

 何故か、少女は自宅に置かれたコスプレ衣装・ナンバー三十五、侍女じじょスタイルだったのだ。

「何でそんな服装?」

 それが少年の、少女に対する第一声だった。

「メモに“侍ってろ”って……」

 それが少女の、少年に対する第一声だった。

 瀞は見せられたメモを見、ようやく漢字の間違いに気付く。

 同時に、本当に実行した彼女に心の底で無意識の敬礼を送っていた。

「えっと〜……話を聞かせてくれないかな?」

「あっ、うん。えぇ」

「えっと、中に入るよ」

 瀞の自宅はマンションの角部屋、とは言え中々広く、一人暮らしの高校生には勿体無いほど立派だ。

 かつて「気分で生きなさい」と言って、株のトレードで成功した両親がオーストラリアで金物屋をするため、瀞の家として用意したのがこの部屋だった。

 ちなみに、賃貸ではない上、どう仕入れているのか毎月の小遣いも振り込まれる。

 海外で金物屋をやることが当時流行っていたのか、と言われても首は縦に振れない。

 葉河は、というと「いつか呼べ、俺は寝る」と言って、自宅に帰ったのだった。

 

 

 

 台所と繋がった洋間は、綺麗に整理されている。

 一応、食器は隔日で洗っているし、食事以外ではあまり利用しないためだ。

 食卓は一人暮らしにしては広く、四人程度ならば余裕と言ったところである。

「それで、今朝、俺は学校に行こうとしたら、君が倒れていたからベッドに寝かせた。倒れてた理由から説明してくれないかな?」

 瀞は相手がわからないので、一応、丁寧な口調で問う。

 そもそも、行き倒れという時代ではない。

 上手くいけばラブコメが始まるのではないか、そんな期待も、恐らく、どこかにはあったのだろう。

「言ったって、信じてもらえるとは思わないんだけど……」

「大丈夫、俺が変なことに巻き込まれるって、親友の勘が告げてたから」

 瀞は知らぬ者が聞けば根拠とは言いがたい言葉と共に頷く。

 だが、少女が発した言葉はその奇妙な根拠をもってしても、全く信じ難いものだった。

「私は“覇術師はじゅつし”この世界から見れば、魔法使いみたいな人間よ」

 ――沈黙

 瀞の滅多に使われることの無い頭脳が、フルに回転を始める。

 不意に瀞の口から言葉が漏れる。

「……大丈夫か? 頭」

 瀞の一言で、ギリギリに保たれていた場の均衡きんこうが崩れる。

 一瞬、少女は困惑の表情を浮かべ、すぐに平坦な笑みに変わる。

 無表情な人間が怖いというのはつまり、そういうことなのだろう。

 少女の手に持たれた竹刀が唸りを上げる。

 普通の人間であれば、気絶は間違いない。

 例に漏れない“普通の人間”蒼海瀞は、その意識を深く深淵に沈めたのだった。

 

 

 

「コホン」

 ワザとらしい咳払いが瀞の耳に入る。

 暗転した目の前が明るくなってゆき、瀞は瞼を開く。

「えっと、急に殴って悪かったわ。でも、あの話は本当」

「う〜ん……とりあえず、続きを話して」

 にわかには信じがたい“魔法使いのような存在はじゅつし”を、瀞は訝しげな表情で見つめ、話の続きを促す。

「“覇術”と言うのは、覇者の術式、または覇王の資格を持つ者の術式と言われているわ。人に宿る“覇力”を放出し、練りこみ、術を紡ぎ出し、戦うためのもの」

 少女の言葉は、簡潔に要点を纏めたものだった。

 瀞には何故か、初対面の少女が嘘をついているとは考えられなかった。

 とは言え、それは信じられるような内容でもない。

「……それで、何で君はここにいるんだ?」

「逃げてきたのよ、追っ手から」

 普通の生活を過ごしてきた瀞にとって、追っ手などと言われても全く実感がわかない。

 意識せずに首をかしげ、話の確信を促す。

「それで、今日一日。ここに、泊まらせて……くれない?」

“覇術”というものが、本当にあるのかはわからない、だが。

 平穏な日々が、期待や予想とは、違う意味で崩壊したことを、少年――蒼海瀞は、ようやく理解したのだった。

 


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