家路に着き、食事を終え、いざ勉強といった瀞はあることに気付く。

 それはすぐさま必要なものであり、自分自身も安全とは言えないような代物。

「澪、お前……テストどうするんだ?」

 

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第八章〜

 

 

 

 

「何の?」

 先程から言葉は出ていたが、よく考えればわからない。

 日常とは無関係と言っても過言ではない生活を行ってきた澪にとって、テストと言われてまず思い浮かぶのは術者級定検定辺りだが、そんなものを瀞や葉河が受けるわけも無い。

「数学とか英語とか」

「えっと……それって源素の位置相関把握いちそうかんはあくより難しいもの?」

「何だその途轍もなく難しそうな名前は!」

 源素の位置相関把握。

 それは神々の術式と呼ばれる、最小の素の位置を把握し変化させる神術の根本。

 覇術は神術を簡易化した魔術、それを昇華して考案された術式であるため、神術から見れば甥っ子のようなものである。

「神術科の基本だけど……私は覇術専門だからわかんないのよ」

「……じゃあ、二九の二乗は?」

「はぁ?」

 澪は眉を上げて呆れを含んだ声を発する。

 一瞬の間を置いて瀞が紙とペンを渡す。

「……筆算していいぞ」

「八百四十一に決まってんでしょ? こんなの第一学位生でも知ってるんじゃない?」

 一瞬。

 最早思考の時間を感じないほどの解答。

 瀞は思う。マズい、と。

「じゃ、じゃあ解の公式」

「何ソレ?」

「因数分解解く奴だよ、知らないのか?」

 勝った、と無意味な優越感に浸る瀞。

 その表情に澪は間伐入れずに拳を放り込む。

 瀞はゴボッ、と口で効果音を立てながら崩れる。

 一息つきつつ立ち上がり。

「a二乗+二ab+b二乗だぞ?」

「瀞、それは違うぞバカヤロウ」

 瀞の誤答に葉河が瞬間のツッコミを入れる。

「え?」

「ax二乗+bx+cの解、だ」

 葉河はアホ過ぎる優越に浸っている瀞を、半ば哀れみを含んだ瞳で見る。

 澪は葉河の言葉に、あ、と小さな声を漏らす。

「それなら知ってるわよ。x=二a分の−b±ルートb二乗−四acよね? 葉河」

「正解。やっぱお前のいたとことは言い方が違うか」

 場所が代われば常識は代わる。

 それは当然の摂理だ。

 日本では考えないだろうが、タイではメンダーと呼ばれるタガメ――つまり水棲カメムシを食用としている。

 市場では生のまま売られていたり、ペーストや醤油も販売されている。

 澪の元いた場所は異界、重力が無くても不思議がるところではないのだからその程度は驚きの範疇に入らない。

「えぇ。アッチだと因数解式って」

「そっちの方が具体的でわかりやすいな。まぁ、こっちじゃ通じないから以後注意な」

 さて、と葉河がペンを置く。

「俺はもう寝る。熱い夜を」

 言葉の直後、逃げ出すように窓へ向かう葉河の後頭部に、狙い済まされた二条の消しゴムが飛ぶ。

「あ、痛い。ヤメッ、ペンはダメ! 尖ってるからペンはヤメロ!」

 葉河はそのまま屋根を伝い、逃げるように自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 薄明かり。

 少年は小さく溜息をつく。

 期待のこもった、小さな小さな溜息を。

 一陣の風が、期待を連れゆくかのように吹く。

 少年は、薄明かりに瞳を閉じた。

 たる未来に期待を乗せて――

 

 

 

「えっとね、みんな中間の準備を頑張ってるところ悪いケドね。転校生を紹介するわよ〜」

 朝のショートホームルーム、瑞姫みずきの間の抜けた声が教室に響く。

 一瞬、教室が静まり返り、次の瞬間にワッと沸き立つ。

 よく見れば、瀞は小さく溜息をつき始めているし葉河に至っては完全に熟睡に入っている。

「じゃあ、澪ちゃん」

「はい」

 明るい声と同時に、澪がドアを開けて入ってくる。

 昨日も似たような風景を見た。

 そして主要な人物は居る。

 澪、瀞、葉河、波海、百合、瑞姫。

 瀞の脳裏に嫌な予感が猛烈な速度で拡大していく。

「西水澪です。よくわからない部分もあるけど、よろしくお願いしま――」

「キャー! カワイー!」

 奇声を発したのは昨日と変わらず百合ゆり

 神原学園はほとんどの教室が防音加工になっている。

 それはこういう状態を想定しての対応なのだろうか?

「そのネタは二度目だよ、百合」

「あれ? そうだっけ」

 百合は波海の冷静なツッコミに、失敗失敗。と席につく。

 いつも通りの出来事にクラスは揺るがず、自己紹介の進行が促される。

「あまり言うことがないので、質問があったら聞いてください」

「ハイ! ウチに……美術部に入部してください! 主にモデルとして。特にヌー……」

「質問じゃないッ!」

 波海のツッコミが胸板に炸裂。

 哀れなのか愚かなのか微妙な美術部員が、派手な快音を立てて宙を舞った。

「そ・れ・に! 澪は昨日の内に学校見学して、生物部に決定なの!」

「うん。ごめんなさい」

「じゃあ、付き合ってください」

 言葉を発したのは井上。

 波海の死のツッコミの軌道を予測、後ろに一歩退いて避ける。

 構えられた右手は勢いを弱めず追撃、回避を諦めた井上は両手を交差し防御体制に移るが防御を無視した一撃が再度の快音の元に井上を吹き飛ばす。

 狙い済まされたかのように睡眠体制に入っていた葉河の背に激突、二人は痛そうな効果音を出して転げ、すぐさま気絶へと移行する。

「ふぅ……真面目な質問とか無いの?」

「ハーイ! スリーサイズはー?」

 呆れた様子の波海をよそに、質問者――百合とクラスの男子大半はその回答に聞き耳を立てる。

「……瑞姫、話進めて」

「うん。澪ちゃんも嫌な時に入ってきたね。あと何日か遅かったら中間試験テスト免除だったのに」

「教師がそういうこと言っていいんですか? 先生」

 呆れ笑いを含み、もっともな意見を言ったのは柚。

 その言葉に瑞姫は勢いよく反応する。

「良いの! 発言権の自由! 基本的著作権の尊重! 無差別破壊主義! この国の憲法の三大柱じゃない!」

「初めのだけ惜しいですけど、思いっきりダメですよ。それだと」

「良いの! 思想の自由! じゃあ授業始めるわよ〜。皆が苦手な公民の部分の補習やっていい〜?」

 クラス全員が、各々の言い方で。

 澪さえもがツッコミを入れた。

 

 

 

 眠い。

 そう、眠い。

 どこまでも眠い。

 果てしなく、眠い。

 白風しらかぜは優しく吹く。

 守るように。

 護るように。

 

 

 

 結局、そのまま一時間目に続く授業は瑞姫が生物と同時に担当している化学になった。

 今回の試験範囲、大体は普通だが一つだけ奇異が含まれている。

 ――錬金術アルケミー

 マンガの見すぎか、とのツッコミもあったが、化学で錬金術をやるのはあながち的外れでもない。

 まぁ、試験範囲に錬金術記号を含めるのは定められた学習指導要領からかけ離れてしまっているが、常識に縛られないゆとりある教育、それが瑞姫の考える“良い教育”だそうで、実際に彼女の担当する教化の成績は平均して高い。

 まぁ、常識を離れすぎていることから、外野から苦情がきているという現状に対し学園長は一言。

「いや〜、ひがむくらいなら入ればいいじゃん」

 と言った主張で黙らせてしまったらしい。

「さて……とそろそろ時間かな? さっきの休み時間分も休んでね。教室の中で」

 もしかして、と澪は思う。

 もしかして、瑞姫は自分がクラスに馴染めるように、人が自分に集中する休み時間を空け、一つの時間を共有してから時間をとったのかもしれない、と。

「考えすぎかな?」

「どーしたの? 澪ちゃん」

 目を開けると、すぐ近くに顔を覗き込んでいる百合ゆりの姿があった。

 少し油断をすれば唇が触れてしまうくらいに近い。

「百合さん……」

「呼び捨て呼び捨て」

「うん……百合」

 そっ、と言うと百合は満面の笑みで跳ねていった。

 何の用だったのだろうか、と考える間も無く目の前に一人の少女が見える。

「初めまして、西水さん。私は香椎かしいゆず

「香椎さん……で良いのよね?」

「柚でいいよ。澪っ」

 柚はそう言って澪の背中を軽く叩くと、向こうの方へ歩いていった。

 よく見ると、クラスのほとんどが列になって並んでいる。

 なるほど、これがみんなの自己紹介なんだ、と気付く。

「えっと二時間目は生物……ってまた瑞姫みずきじゃん」

「葉河」

「あい、今更俺が三度目の自己紹介で時間とるのも悪いから。さっさと退散するよ」

 確かに今更、と思い澪は首を縦に振る。

 瀞もそうだが、葉河には覇術の事さえ伝えた。

 この世界に来てから二番目に会った人間だ。

 ふと見れば、次に居るのは波海。

「んっと。転入おめでとう……かな?」

「うん。ありがと、波海」

「じゃ、後で」

 波海は嬉しそうに笑うと、手馴れた手つきでその長い黒髪を結いながら葉河の方に歩いていった。

 

 

 

 青。

 四大色定より大地に配される色彩。

 元来、灰に近い白色のことを指す言葉でもある。

 そして現在ではリョクランソウヘキといった色彩を総じて呼ぶ。

 浅緑から青緑にかけ“ヘキ”の字があてられ、くすみ、血の気の無い青色に“蒼”の字があてられる。

 ――蒼き海

 海は水を表し、くろを意味する。

 蒼き水。

 大地の水竜、それは水地みずち

 の者の二つ名は――“サーペント

 

 

 

 

「さて、今日も今日とて部活動。今回は澪ちゃん初の通常部活だよ〜」

 わ〜い、と風也は呑気な顔で忙しそうに手を振っている。

 素で、しかも日常茶飯事な光景なんだろうと思い澪はその動きにツッコミは入れない。

「あの、他の人たちは?」

「百合ちゃんと弥生は病院、あとはみんな来ると思うよ。ほら、ウチの部ってルーズだから」

 そう言われてみれば、誰もかれも適当でルーズな気がしてくる。

 ……一番ルーズな雰囲気なのは風也自身だが。

「あと、僕には敬語じゃなくていいよ。堅苦しいの嫌いだし」

「はぃ……うん」

 言われ、澪は安堵の笑みを浮かべる。

 風也は似ているのだ、瀞に、葉河に、波海に。

 そして他の部員達もきっと。

 損得勘定ではなく、ただ一緒にいて楽しくなれる関係。

「多分、それを“友達”って言うんだよね」

「ぅん? どしたの?」

「うぅん、何でもない」

 そっか、と風也は言って窓の外を見る。

 すっかりと変わった季節を告げる春風が、部室に飾られた季節外れの風鈴の音を鳴らす。

 澪は初めて聞く澄み切った鈴の音に、両眼を閉じて聞き入る。

「実は、瀞君は何度言っても聞かないから君付けしてるんだけどね」

「そんな理由なの?」

「うん」

 そう言った風也の表情は、優しく響く風鈴の音のように、どこまでも無邪気で澄み切っていた。

 

 

 

 どこかで、

 小さく、

 小鳥のさえずりが生まれた。

 

 

 

「あれ? まだみんな来てないの?」

 声と共にドアが開き、美しい黒の長髪が目に入る。

「うん、百合ちゃんと弥生は病院だけどね」

「あ……そう言えば今日だったっけ」

 波海は一瞬苦い顔をし、すぐにいつもの笑顔に戻る。

 澪はその一瞬の表情が気になったが、本人が言わないのだから聞くべきでないだろうと問うのをやめた。

「それと風也、頼まれてた護符おまもり

「あぁ、ありがと」

 完全に忘れていた様子で風也は護符を受け取る。

 どうにも聞きなれない護符のやり取りに苦笑しながら、澪は二人を見ていた。

 無言の笑みを浮かべ、噛み合わないようで噛み合い、やはり噛み合っていないやり取りを聞きながら。

「あれ? みんなは?」

 再びドアが開けられ、言葉と共に入ってきたのは瑞姫。

 顎下に指をつけ、ワザとらしい仕草で笑みを浮かべている。

「百合ちゃんと弥生は病院、他のみんなはもうすぐ来ると思うよ」

「そ、わかった。まぁ準備することも無いから待ってよっか」

 風也は、だね。と応じ棚の中から顕微鏡けんびきょうを取り出す。

 脚立の上に片足という随分安定の悪い格好だが、見事にバランスを取っているのは褒めるべきなのかどうか微妙である。

 不意に、波海が気付いたように澪に向きなおす。

「あ、そうだ。澪は旅行の準備は出来てる?」

「あ……全然」

 恒例行事として知っている他の部員達はともかく、澪はこの世界にやってきてから一週間も経っていない。

 もちろん、波海はそんな事情を知るわけが無い。

 澪の答えに満足の笑みを浮かべて一言。

「そっか、じゃあ一緒に買い物行こっか?」

 波海の誘いに澪の答えはただ一つ。

「うん、ありがとう」

「一応私は終わってるけど、友達とどっか行くのは好きだから」

 礼を言う澪に波海は楽しそうな笑みで返す。

 あからさまに表情には出さないが、澪の方も初めて体験する友人との買い物に期待で胸を膨らませているのは明らかである。

「じゃあ、明後日の日曜に」

 澪が頷くと、波海は思い出したかのように手を叩く。

「そうそう、慈衛が後で部屋に来てって」

「……怪しいことじゃないわよね?」

「大丈夫だと思うよ。多分まだ、この世に未練があると思うから」

 その屈託の無い笑顔とは裏腹な言葉に澪は苦笑。

 考えもしなかった平穏な、何のことなく楽しい日々に、そこへ迎えてくれた友人たちに対し、心の中で再び礼を言った。

 


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