「澪ぅ、勉強した〜?」

「柚はどうなの?」

「わ〜、質問に質問で返さないでよ〜」

 困ったような表情を見せる柚。

 この様子だと、勉強をしたにはしたが、成果があるか微妙な程度、といったところだろう。

 数日、澪が神原学園に転入してから、まだ一週間も過ぎていない。

 しかし彼女の風貌からか、時期的に、高校から入った奴らと大差無いからか、あるいはクラスの持つ奇妙な人懐こさかはわからないが、澪はクラスに十二分に馴染んでいた。

 皆が皆、澪に気楽に話し掛け、学級としてとても良い環境になっていると、教卓に腰掛けながら瑞姫は思う。

 教卓に座っている担任教師に何のツッコミを入れないというのもどうか、と言う話だが。

「そういえば澪って瀞と仲良いよね?」

「え? そう?」

「うん。でさ、ここ何日か凄いやつれて見えるんだけど、何か知ってる?」

 知っている。

 何故ならば、その原因は自分にあるのだ。

 学校に来ているのが不可思議なほどのレベルの鍛錬に。

 だが、覇術のことを柚に教えることは出来ない。

「トレーニングしてるから、とかじゃない?」

「やつれてるって言えば飛鳥もだけどね。澪が来た頃からだけど……良いとこ見せたいのかな?」

 と、机に伏している少年の方へ目をやる。

 出席番号六番、加古原飛鳥。

 化学部所属で、一言で言うところの馬鹿。

 どことなく瀞に似た雰囲気がするのはその辺りだろう。

「まぁ、どうでもいいよね。試験頑張ろ? 澪」

「うん。そうだね」

 今日も今日とて、日常的な非日常の一日スタート。

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第十二章〜

 

 

 

 街灯も消え、日が昇りかかった早朝、朝霧が美しく照り返す。

 時間は五時二十三分、鍛錬初日、開始から二十三分が経過した。

 一人しかいない受講者は、息を大きく吸い、吐きを繰り返している。

「遅い」

 言葉に続き、小気味良い音が響く。

 どこで調達したのか、長さ一メートル超の特大ハリセンは線の細い澪の片手で持てる道理は無い。

 だが、目に見えない速度で振るわれていると言うところに覇術の存在を感じられる。

「痛って〜……」

 澪は溜息。

 その傍らでは葉河が寝ぼけ眼を擦っている。

 瀞とて眠いのだが、全力疾走中に眠りに入れるほどアレな人間でもない。

「もっと速く、それにテンポ良く。同時に頭の中で“速さ”をイメージする!」

 教える、という雰囲気から離れた声が飛ぶ。

 先日の羽雲戦、瀞はほとんど役に立っていなかったといって良い。

 その身に持つ覇力そのものは並の術士を遥かに上回るほどだが、制御能力は当然ながら皆無。

 葉河が持っていた天性の戦闘勘のようなものがあるわけでもない。

 だが、恐らく覇術のコツを掴めば、あの覇力は術士にとって強力な抑止力となるだろう。

 そのための鍛錬。

「次、プレッシャー入れてくわよ」

 そう言うと、澪は瀞の覇力を用いて想像イメージを具現、瀞の後ろに長すぎる針のような、水の短槍が生まれる。

加速アクセル

 瀞はその意味を理解してしまった。

 その覇力が具現され、言葉通りに加速していく。

「って死ぬっつーの!」

 水槍が指しているのは右脇腹。

 刺さったところで絶命するような臓器は無い位置だが、危険には変わりない。

『イメージ!』

「わかってるつうの!」

『あ、今、伝達の術式使ってるんだけど受信出来てるんだ』

 瀞は、え? と一瞬その動きを止める。

 プチ、と。

 そんな音が聞こえてきそうな雰囲気に、水の短槍が痛みを伴って瀞を促す。

 早朝の公園に響く叫びを気にせずに、澪は伝達術式のテストを続ける。

『葉河は?』

「ん? 聞こえてるけど」

 澪の口は動いていない。

 意思を術式的に変換し、覇力に乗せて放出する伝達術式は中々重宝する。

 送信者側が意図した対象に伝えるもので、受信者側はよほど鈍感か、拒否してない限りは誰でも受けることが出来る。

 元々、この術式は戦闘時に思考を相手に伝えないようにするために使われる術式だ。

 そのため、遠距離での使用は想定されておらず、声の届く辺りが精々といったものである。

「……携帯、買った方が良いんじゃないかなぁ」

 葉河の何気ない一言に、瀞の叫びというバックミュージックが流れた。

 

 

 

「あんなこと毎日やってたら絶対に殺されるって……」

「……一応頑張れ」

 瀞の返しにくい愚痴に対し、葉河は無難な言葉で回答する。

 何故だか葉河は澪の鍛錬を受けていない。

 澪が先日の羽雲による怪我を考慮しているのか、それとも取り敢えず瀞を使えるものにしたいということなのかはわからないが、葉河に安堵、瀞に不満があるのは確かだった。

「今日さ、澪の携帯買いにいかないか?」

「何で? てか、アイツ金無いだろ、俺は出す気なんてないぞ?」

 あ〜、と葉河が数回頷く。

 一瞬を置いて、何の問題も無さそうな表情を浮かべる。

「慈衛が澪の生活資金を負担するんだって、どういうことかはよくわかんないけど、とりあえずはアイツの好意に甘えよう」

 親からの生活費供給は決して少なくないが、家賃やら食費やらを考えれば、自分で使える金額は普通の高校生のそれと大して変わらない。

 澪が唐突に居候してきたから生活費を増やせ、と言うわけにもいかなかったのでそれなりに大変ではあったわけだ。

「よかった。ってことは携帯もか?」

「多分。慈衛は澪の生活を全面的に支援するって言ってたから」

 どういう理由なのかは葉河もわからないのだから瀞だってわからない。

 だが、助かることには変わりない。

 それにあの見かけとは言え学園長なのだから、少しくらいの贅沢は許されるだろう、と瀞は思う。

「ふ〜ん、じゃあ行くか。今日は午前授業だし」

 瀞は眠たそうにそう答えると、大きな欠伸で今日と言う学校生活を始めた。

 

 

 

 一時間目の最中、学園長室には二人の男の姿があった。

 一方は慈衛、相変わらずの童顔に柔和な笑みを浮かべ、だらけた様子で椅子に座っている。

 もう一方は守璃、数日前と似たような構図で、滅多に使われることの無い来客者用のソファに腰をおろしている。

「慈衛」

 僅かな沈黙を守璃が破る。

「あの防護、そろそろ切れんじゃないのか?」

「あ〜……賞味期限間近ですね。早く食べなきゃ、って違いますよ」

 勝手にノリツッコミを行う慈衛の姿は完全無欠に生徒のそれである。

 たとえ慈衛が「僕が学園長です」と言って生徒の前に出たとしても、出来の悪いギャグとして一同が笑うという結末しか想像できない。

 見た目にせよ性格にせよ、そんな要素をほとんど持っていないというのに、どうして学園長になれたのか、というのは彼の存在を知っている数少ない人間が、はじめに抱く疑問でもある。。

「“五輪塔”については少し経過を見たい。力の余波で色々と問題が生じるだろうけど、その辺りは頼むよ」

「えぇ、わかりました……あ、これ食べます? 新感覚製品の新商品、アイスクリームスープカレー味」

 そう言って慈衛が差し出したのは、アイスというよりもむしろ液体に近い物質。

 家庭の夕飯支度を思わせる匂いからは、それが氷菓であると判別することは出来ない。

 満面の笑みを浮かべながら勧める慈衛に、守璃は苦笑。

「それを食うなら、普通にカレーを作りたい」

「他に卵アイスもありますよ?」

 卵アイス、街のアイスクリーム店でも売っていそうな普通の種類に守璃は腰を上げる。

 慈衛の何かの行動が合図となって、後ろの部屋から給仕服に身を包んだ侍女がスプーンをつけたアイスクリームを持って現れ、守璃に渡すと滑るようにして去っていった。

 足音一つ立てずに、素早く行動する侍女に守璃は感心しながらアイスを口に運ぶ。

 沈黙。

 口の中には一瞬、バニラのまろやかな甘味が広がり、次の瞬間有無を言わせずに深みのある塩気が蹂躙する。

 バニラの甘味はすぐさま消え去り、どこかで食べたことのあるプチプチとした食感。

 それはアイスクリームの中では絶対に感じ得ない味覚と食感。

「何の卵だ?」

「え〜、鮭です。あとスケトウダラ、ボラ、ニシンとありますけど」

「何だその海産物は! てかイクラに明太子、カラスミとカズノコじゃねぇか! こんなアイス食えるか!」

 不気味な商品展開と、慈衛の「美味しいのに……」という本気の言葉に、守璃は一瞬背筋に寒いものが走るのを感じた。

 学園長室の一日は、試験前でも変わりない。

 

 

 

「キーンコーンカーンコーン。キーンコーンカーンコーン」

 学校の西側に設置された大鐘が響かす終礼の音に、柚が便乗して呟く。

 最近では珍しい、アナログな方法だが、電子音よりも耳に優しいとそれなりの評判である。

 一時期、慈衛の提案によってミンミンゼミの大合唱の音が取り入れられたのだが、盛夏、外は常に鳴き続けであるため、鳴ったのかどうか区別できずに数日で廃止されたのだ。

「おっし澪、今日は携帯電話を買いに行くぞ」

 瀞の言葉に澪は首を傾げる。

 澪の住んでいた世界、神垣には携帯電話、更には電話と言う通信手段が存在しない。

 そのため単語の意味から“携帯電話”の内容を予測し、確認するように問い掛ける。

「携帯電話って……遠距離伝達術式機器よね」

 遠距離伝達術式機器。

 聞き覚えの無い単語に瀞が眉をひそめ、鞄に荷物を仕舞いながらの葉河が静かに対応する。

「術式じゃないけどな。ってか学校で覇術系統の話はやめとけよ」

 別に聞かれたところですぐに問題が出る、というわけでも無いだろうが、知られれば変人扱いか、もっと悪い場合には風聞が追っ手達に届くことだって考えられる。

 まぁ、クラスの性質上、単なる冗談として通用するのでそのような心配は無用だったりする。

「そうね。確かに」

「あれ? 澪って携帯持ってなかったの?」

 声に驚き振り向いてみると、そこにはいつの間にか波海の姿がある。

 相変わらず、その軽やかな動きは気配を感じさせない。

 どこから聞かれていたのか、覇術のことを聞かれているとしたら色々と面倒が残る。

「携帯買いに行くんだったら一緒に行かない? どうせ家にいたって勉強なんてしないからさ」

 その言葉に、澪は安堵の一息を吐く。

 どうやら話が何となく聞こえていただけで、詳しくは聞かれていないのだろうと思う。

「うん、瀞も葉河も良い?」

「別にいいけど」

「良いよ。てか断ったら殺されそう」

 波海が笑顔で手刀を放つ。

 危険を察知し、葉河はそれをなんとか避ける。

 常人が当たれば気絶していてもおかしくないような一撃だったりする。

 少し前までは高校入学生たちが感嘆の声をあげていたが、もはや完全に日常化した一連の掛け合いにツッコミを入れるクラスメイトはいない。

「じゃあ一回帰って、準備してから東神領公園でね。折角だから澪の旅行の準備もしちゃお」

 波海は帰り支度をしながら笑顔を見せる。

 何の相似点も無いはずだった。

 しかし、その楽しそうな微笑は何故か、澪に故郷の世を思い出させた。

 


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