大学受験。

 それは人生の大きな転機といえる。

 そのことは彼にとっても変わらず当てはまることだった。

 だからこそ、彼は大学入試へ向け、楽しみであった部活も休部し、早期から本腰を入れていた。

 それも、学園長が推薦をしてくれるといったからである。

 彼は一般入試を行っても、まず間違いなく合格するだろう。

 学園長の言葉は、部活を我慢する彼に対するささやかな気遣いだったのだろう。

 推薦入試までそう時間はない今日この頃。

 彼は、気晴らしとして街を歩いていた。

 

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第十三章〜

 

 

 

 

 東神領公園。

 ここは瀞と葉河、波海にとっては非常に馴染みの深い公園である。

 同時に瀞と澪にとっても、初めて共に戦った、意味のある場所でもある。

 まだ術式戦はたったの二回、しかもどちらも“羽雲”という同一の追っ手との戦いだったが、何だか思い出深く感じてしまうのは何故だろうか。

「何つうか……何なんだろうな?」

「まだ何週間も経ってないのにね」

 最近、あまりに多くのことがありすぎた。

 澪の登場、追っ手、転入、入部、部旅行への参加決定、羽雲の再襲撃、そして鍛錬の開始。

 漫画などと比べてみればドタバタ感は劣るだろう。

 しかし、実際にやってみれば瀞の身体的・精神的疲労は凄まじいものだった。

 それが記憶の時間錯誤を生んだのかもしれない。

「これからもよろしくね」

「改まって言われてもなぁ」

 瀞が首を傾げていると、見慣れた葉河の姿が目に入る。

 隣には黒髪をなびかせた笑顔の女神、もとい笑顔の悪魔が歩いている。

 誰が見てもお似合いといいそうな雰囲気であると同時に、よく見る組み合わせでもある。

「よ」

 葉河はいつも通り右手で目尻を擦りつつ、左手を上げる。

 その横の波海は、三人の様子を見て笑顔で一言。

「行こっか?」

 波海の言葉で、四人は駅へ向けて歩きだした。

 

 

 

 澪にとって、電車という存在は初めて体験するものだった。

 列車そのものは何度も乗っているが、パンタグラフを乗せ、モーターで動くそれは目に新しい。

 名目上高校生となっているにも拘らず、澪は電車と言う存在を好奇の目で見ていた。

「どこに行くの?」

 切符の買い方もわからず、そもそも現金を持っていなかったので瀞が自腹で買う羽目になった澪が波海に問い掛ける。

 瀞は小さく息を吐きながら、後で必ず慈衛に請求することを心に決める。

「ちょっとした都市部、大回りにはなるけど、たまには電車もいいかな、ってね」

 神領市にある二つの駅のうちの一つ、神領駅から電車は発車する。

 もう一つの駅は旧神森市の神森駅、そのままだ。

 神領市は一九九〇年に隣の神森市と合併して現在の状態になっている。

 その形状は作為すら感じる円状で、更に旧神領と神森を分けると、太極図そっくりになるという点も不思議といえば不思議である。

「澪は神領出るの初めてだろ、そういや」

「あ……」

 そう言われてみれば確かにそうである。

 神領市の中でもそれほど動いたわけでもない。

 それ以前に、澪はこちらに来てから、出かける、ということはなかったし、今までどこかに遊びに行った覚えも無い。

 澪にとっては初めてづくしの経験である。

「今回の目的は覚えてるよね?」

 波海が面倒そうに問う。

 事前準備というよりも遠足気分の三人を見ていれば、波海でなくとも問いたくなるだろう。

「……メイド喫茶?」

 瀞の言葉。

 波海が呆れた顔をすると同時に残像が生まれる。

 二人が疑問符を浮かべる前に、瀞の顎が思い切りよく持ち上がる。

「え?」

 相変わらずと言うか、常人離れした速度。

 人間の知覚速度を遥かに凌駕した速度で瀞の顎下をピンポイントで打ったのは波海。

 覇術師である澪ですら感じられなかった超速は、少なくともマトモではない。

「莫迦は放っておいて……」

 気を失った瀞を見て、いつもそのポジションにある葉河は眼前で手を合わせる。

「澪の旅行の準備、あとは日用品の購入」

 澪は波海には、家庭の事情で身一つで居候に来た、ということで話している。

 その説明に納得しているのか、それとも勘が鋭い波海のことだ、何かに気付いているのかもしれない。

 それでも何も言わないのは波海なりの気遣いなのかもしれないと澪は思っている。

 同時に、そんな波海に嘘を吐かざるを得ないことに多少の罪悪感を感じないわけではない。

 そんな澪の内心を無視して、波海は続ける。

「それと、今は霞の服とか着てるみたいだけど、コスプレ用の服以外は少ないし……」

 瀞の姉、蒼海霞は瀞の悪名であるコスプレ趣味の元凶である。

 部屋の中にコスプレ用の衣装を保管してあれば、否応無しにそういった噂は立つ。

 ちなみに“ロリコン蒼海”の悪名は瀞自身の責任であり、彼女に責任は無い。

「まぁ、着いてからでいいだろ? アカシックレコードじゃあるまいし、そんな細かく決める必要ないって」

「……アカシックレコードと今日の予定を同格に考えるのって文明人としてどうかと思うんだけど」

 葉河の一言に、すかさず波海がツッコミを入れる。

 そもそもアカシックレコードと言われて反応できる人間の方が珍しいのかもしれない。

 アカシックレコードと言えば、人智学者ルドルフ・シュタイナーが発表した魔術的な概念で別名をアカシャ記録。全宇宙の過去・現在・未来の行為から思考、出来事が全て記録されているという巨大なデータバンクのことである。

 余談としては、超能力者エドガー・ケイシーは睡眠中にこれを見、予言を行ったという。

 当然、そんな大層なものと、精々数十秒の言葉を同列に考えるのは確かにどうなのか、という話である。

「まぁ、楽しくいこうよ。楽しくな」

 気絶した瀞、目を輝かせて車内を見回す澪、眠そうに欠伸をしている葉河、三人を見て微笑む波海。

 そんな、どこまでも普通の学生のような雰囲気を乗せて、電車は線路を駆けていく。

 

 

 

「あ〜、着いた〜」

 十数分の間、完全に意識を失っていた瀞はそう言いながら大きく伸びをする。

 駅は地下街やデパートと直接繋がり、近代的な雰囲気を醸し出している。

 神領市は決して田舎ではないが、大都市とは言い難い。

「どうすんだ?」

 瀞は澪の様子を見て呆れた様子で問い掛ける。

 澪はやはり初めて見る、この世界の大都市に目を奪われていた。

「まずは携帯を買うべきかな。一応、慈衛が何かしたらしいから、すぐに登録済みそうだけど」

 あの童顔学園長は何をしたのだろう、と三人が苦笑する。

 慈衛の行動は毎回意味があるのかさっぱりわからない。

 初対面の澪を簡単に転入させるし、メイドマニアでもある。

「じゃあ、携帯ショップ行こっか」

 慈衛がどんな細工をしていたのかはわからないが、澪が機種を選び、波海が慈衛からのものだという証紙を店員に渡すと、店員は奥に行った後すぐに手続きを終わらせた。

 通常ならば様々な証明や記入が必要であることを考えると、どう考えても不自然である。

 結局、澪が選んだのは機種と電話番号、そしてアドレスだけだった。

 

 

 

「次はどうする? 澪」

「う〜ん、服かな」

 女子二人の言葉に、すかさず葉河が反応する。

「よし瀞俺達は別行動だ後で会おうメールで連絡だじゃなッ!」

 先程の波海を髣髴とさせる超速で瀞の手を持って駆け出す。

 その姿はすぐに人の波に呑まれ、見えなくなっていた。

 葉河にはわかっていた。女子の服購入に付き合えば、筋肉痛必至の荷物持ちをさせられるということを。

「まぁ、いっか。そんなにいっぱい買う気もないでしょ?」

「うん。そうだね」

 澪は苦笑と共に肯定、歩き始めた波海の後ろに続く。

 周囲に気を配ると、視線を向けている人間も少なくない。

 波海の見た目が原因だと澪は思うが、原因の一端が澪にもあるというのは言うまでも無い。

 それでも声をかけてくるのがいないのは、波海がどこか奇妙な殺気を振りまいているからのように感じる。

 少し歩くと、一目で洒落ているとわかる服屋の前に着く。

「私って基本的に服とか興味ないからわからないんだけど、澪が好きなの選びなよ」

 資本はいくらでもあるからね、と波海は慈衛にわたされたらしいクレジットカードを見せる。

「ありがと」

「まぁ、今度慈衛に会う時にお礼でも言っときなよ。当然試着は却下の方向で」

 そう言うと波海は小さく笑い、澪もそれにつられて笑ってしまう。

 波海は薄水色のワンピースを澪にあてると、閃いたように頷く。

「これ、これ良いよ。澪のイメージにピッタリ。やっぱり澪は水色のイメージがあるからさ」

 人間離れした力や凶暴性を持っている波海だが、こんなところを見ると、やはり女の子なのだと澪は改めてそう思った。

 結局、澪は波海が選んできた水色系の服を数着購入し、店を出た。

 

 

 

 大型の駅前に、どんな意図で作られたのかよくわからないオブジェがあるのはそう珍しいことではない。

 澪と波海はどう見ても西洋風な魔法使いのブロンズ像の前のベンチに座っていた。

「少し待っててくんない? ちょっと買っておきたいものがあるんだけど」

「じゃあ私も一緒に行くけど」

 澪の申し出に、波海はどこか楽しげな表情を浮かべる。

「まぁまぁ、楽しみは後に取っておくものだからね。並び具合にもよるけど、十分くらい待ってて」

「うん、わかった」

 波海は澪の言葉を聞くと、澪の服を持ったまま、見事に人の波をくぐって消えていった。

 

 

 

「で、どうする? 見るとこあるか?」

 瀞は一瞬考えると、重々しく頷き、一つの言葉を吐く。

「メイド喫茶」

 どこか既視感を覚える葉河の一撃が、瀞の顎を真下から打ち抜いた。

 結局、どこに行くというアテも無い。

 葉河は気絶した瀞を引きずり、近くの喫茶店へ向かった。

 

 

 

「なぁ、良いだろ? 少しくらい」

「ヤメテ、友達待ってるだけだから」

 澪の見た目は大勢の人間の中でもかなり目立つ。

 当然都市部であれば、ナンパをしようという身の程知らずな輩が出てくるものである。

「ノリ悪ぃな、来いっつうの」

 そう言って男は澪を人気の少ない路地裏へと引いていった。

 そこには似たような雰囲気の男達が十数人。

 誰も彼も澪を確認すると底意地の悪い笑みを浮かべる。

「じゃあ楽しむとするか」

 割りと目鼻立ちの整った、リーダー風の男がそう言いながらズボンのベルトを緩める。

 澪はこの状況が何を意味しているのか想像し、吐き気を抑えた。

「……瀞」

 携帯ならば通じるだろうが、させてもらえそうな状況ではない。

 澪は不意に瀞の名を呟く。

「路地裏に女の子を無理矢理連れて行くのはどうかと思うが?」

 薄暗い路地裏に声が響く。

 いつの間にか、そこには少年が立っていた。

 チンピラ達とは明らかに違う雰囲気を纏った冷静なその声はしかし、どことなく澪に対する温かさを持っていた。

 眼鏡が助長する大人びた風貌は高校生か大学生、少なくとも慈衛よりは年上に見えるがアテにはならないだろう。

「え……貴方、誰?」

「あ? テメェ俺達の楽しみ方にケチつける気か?」

 リーダー格の男が、緩めたベルトを直しながら凄む。

 乱入者の少年が、見た目通りの単なる優男であれば、腰を抜かしていたかもしれない。

 しかし、少年は一切動じず、むしろ高圧的な視線でチンピラ達を威嚇している。

「低能丸出しが、今時そんな言葉、現実世界で聞かないが?」

 あからさまな嘲笑に、チンピラ達が拳を握る。

 我慢の無い数人が少年に向けて渾身の一撃を放つが、少年は何の苦も無くそれらを避ける。

「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。この言葉を全面的に支持するつもりは無いが、少しくらい見習え低能」

 チンピラ達の奥歯が擦れる音が聞こえてくるかのようだった。

 怒り心頭といった様子で全員がポケットに手を入れ、様々な武器を取り出す。

 メリケン、ブラックジャック、コンバットナイフ。

 リーダー格の男が持ったコンバットナイフなど、どこで手に入れたのか、法令に違反していそうな品物だ。

「その女置いて消えろ。そうしたら腕一本で許してやる」

 優勢と見て、リーダー格の男が言い放つ。

 だが、それでも眼鏡の少年は動かない。

 そんな様子に業を煮やしたのか、チンピラ達が武器を振りかざして襲い掛かる。

「正当防衛。君が被害者で、証人だ。いいな?」

 唐突な質問に、澪は無言の首肯で答える。

 刹那、甲高い金属音。

 男が振り下ろしたコンバットナイフの刃が、眼鏡の少年の裏拳によって叩き折られたのだ。

「言葉を返そう。この子を置いて消えろ」

 化物を見たかのように、チンピラ達は一人残らずその場を走り去っていった。

「あの……何で、助けてくれたんです?」

「友達を待ってるんだろ?」

 そう言うと、少年は路地の出口を顎で示す。

 確かに波海を待ってはいたが、助けてもらったというのにすぐに転換、という気にもなれなかった。

 どうしようかと考えあぐねていると、買ったばかりの携帯電話に着信が入る。

「あれ? ……えっと、これってどこ押せば?」

「携帯の使い方程度は常識として覚えておいた方が良い、ここの受話器のボタンだ」

 着信の相手は波海。

 丁寧に教えてくれた少年の言葉通り、澪はボタンを押し、携帯を耳にあてると、波海の声が聞こえてくる。

「澪、もしかしてチャラ男風なチンピラにナンパと見せかけて連れ去られたりしてる?」

 どこかで見ていたのではないか、そんな感じがするほどに的確な質問だった。

「えっと、うん、まぁ。それはいいんだけどごめんね」

「ん? 何が?」

 何か謝られることをしたのだろうか、と波海が電話の向こうで首をかしげているのがわかる。

「だって、さっきのところにいなかったでしょ?」

「あぁ、そうなの? 喫茶店にいる葉河と瀞を捕まえたから合流しないかな、って思ってさ」

 よく聞いてみれば、周囲の雑音に混じって瀞と葉河の声も聞こえる。

 目の前の少年は先程と変わらず、妙に姿勢良くその場に留まっている。

「悪いけど、ちょっと待ってて。どこで会う?」

「待つんだったら、まぁどっちにしてもだけど、カフェにでもいるね。誰かにこの辺で一番高いビルの屋上って聞けばわかると思うよ」

 わかった、と澪は頷きながら返し、少年の目を見つめる。

 そして今さっきはぐらかされた質問をもう一度ぶつける。

「何で助けてくれたの?」

「わざわざ俺のために時間をとる必要も無いと思うが……」

 言葉を切って

「そこまでさせたんだから、説明しないと悪いか。俺が気付いたのはその服と言動」

 そこまで言うと、少年は微苦笑を見せる。

 どう考えても違うというのに、それはどこか風也に通じるところのある、柔らかい笑みだった。

 含ませるような間を空け、少年は信じられない言葉を紡ぐ。

「俺は浅緋あさあけみさご、神原学園生物部の創設者であり、先代部長だ」

 


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