人々の足音に隠れてこそいたが、彼は確かにそこにいた。

 道ですれ違っても絶対に覚えないような、道を聞かれてもすぐに忘れてしまいそうな、そんな雰囲気の男。

 だが、それは彼にとっては好都合ですらあった。

 敵に気付かれず、万が一としてリスクを冒さない、時には味方すら容赦無く犠牲とし、後ろの後ろから混乱を生む。

 それが彼、その影はそんな男の影であった。

 

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第十四章〜

 

 

 

 

「生物部の……」

 澪の感嘆の声に、鶚は軽く頷き肯定。

 かけていた眼鏡を外して胸のポケットにしまう。

「去年末から大学受験のために休部中だ。まぁ、推薦試験だからもうすぐそれも終わるが」

「じゃあ、今度の旅行にも?」

 期待を含んだ澪の問いに、鶚は首を横に振った。

「まだ受験が終わらないからな。俺は他と比べれば早いが、まだ終わったわけじゃない。一応のケジメとして、な」

 苦笑と取れる表情で、澪は頷く。

 その顔に、さっきまでの硬さや緊張感は無い。

 同じ生物部としての会話だった。

「それで、さっきの答えだが」

 鶚が思い出したかのように話題を戻す。

 今更どうでも良いことではあるが、澪もそれに気付くと、無言で言葉を待つ。

「チンピラに連れ込まれる前、お前は波海と一緒にいただろ。それに、その服は霞のものだろうしな」

 その言葉を聞いて、ようやく何で鶚が助けてくれたのか、という疑問が氷解する。

 納得の表情の澪に鶚は満足げに笑む。

 さて、と前置きしてから鶚はゆっくりと歩き出した。

「こんなところで話してるのもなんだ、喫茶店でも入ろうか?」

 チンピラ達とは明らかに違う朗らかで優しい、気遣いすら感じる誘いに澪は肯定しかけて、ふと波海の言葉を思い出す。

「あ、波海達がこの辺で一番高いビルの屋上で待ってるって言ってたんですけど、一緒にいかがですか?」

「別に敬語にする必要は無い。瀞の奴はどうしても敬語が離れないらしいが」

 以前、風也にも同じことを言われた気がする。

 そのことが、澪に彼が神原学園の生物部であることを強く感じさせ、話しやすさをもたらした。

 雰囲気が似ているとはいっても、風也を飛行船とすれば鶚はプロペラ機、といった感じの違いはある。

「はい……じゃなくて、うん」

「そういえば、名前を聞いてなかったか」

 澪もそんな些事は完全に忘れていた。

 鶚が生物部であるということだけで、既知の友人であるかのように感じてしまったのだ。

 それは、それだけの魅力が生物部にあり、澪の心休まる場になっているという証明でもある。

「私は西水澪」

 澪の自己紹介に鶚は一瞬、訝しげに目を細めるがすぐに元の表情へ戻る。

「折角誘われたんだ、断る理由も無い。行こうか」

 鶚は満足そうに言うと、右足を前に出し、歩き始めた。

 神領市では見かけない摩天楼を、澪は一度見上げると、すぐに鶚の後に続いた。

 

 

 

 薄暗い路地の裏。

 男は怒っていた。

 後ろには同じような表情をしたチンピラ達がそこらのものに当たっている。

「あの野郎……」

 その手には、刃が半ばから折れたコンバットナイフ。

 改めて見てみると無性に腹が立つ。

 何か武器を使っていたのならば、まだわかる。

 だが、あの男は素手で、しかも一撃でこのナイフを折ったのだ。

 実力差があるのはわかっている、だから逃げた。

 しかし、だからこそ怒りは収まらない。

「倒したいか?」

「あ?」

 どこからともなく、声が聞こえてきた。

 耳で聞いているというよりも、紙に書いた文字を読んでいるような不思議な感覚。

「力を貸してやる。先程の女を連れて来い」

 小者こそ、自分を下とされ、命令を受けることを嫌う。

 彼らも例に漏れないそんな輩だった。

 自分達を見下した態度を取る声の主を、見つけて叩きのめそうと辺りを見回す。

「出て来い、ブッ殺してやる」

「……連れて来い、と言っている。拒否権は無いのだよ」

 声と共に、思考に何かが入ってくるのを感じた。

 脳の中が掻き乱され、何も考えられなくなるような感覚。

 彼らの瞳からは憤怒の光が消え、それどころか全ての意思が失われていた。

「さて、どうやって攻めるとするか」

 影の男の独白が、暗い路地裏に小さく響いた。

 

 

 

「あ〜、澪こっちこっち、ついでに鶚もコッチコッチ」

 鶚の同伴に全く驚かず、それどころかそちらを見もせずに波海が反応する。

 三人の視線は自分達の手札に集中し、瀞に至っては二人の登場を気付いてすらいないようだった。

 続けられる嘘の吐き合いダウト

「相変わらずカードゲームが好きだな、お前らは」

「え? ウワッ、鶚先輩! 何でここに?」

 瀞は澪達が数メートルほどの距離まで近づいてようやく気付き、驚きの言葉と同時に手札を出す。

「試験まだじゃねぇの? あ、瀞ダウト」

「チッ」

 瀞は舌打ちと共に厚く重なった山を手札に加える。

 どさくさに紛れようとカモフラージュはしてみたが、葉河と波海には全くの無意味だったとしかいえない。

「まぁ、澪も帰ってきたし、鶚が何でか付いてるし、トランプはしまって話そっか」

 そう言って波海は二人の手札を回収、妙に手際良く箱に入れ、そのまま鞄に入れた。

 澪は生物部に年功序列は無関係なのだと改めて思う。

 瀞は年上に対して大体の場合は敬語だが、葉河や波海などは、どう考えても敬語を使う気が無い。

「今日はほんの息抜きでな、波海と一緒に居た彼女がチンピラ達に連れて行かれたから、追い払ってここに居る」

「チンピラ? 今時そんなのいるんですか?」

 瀞が笑いながら問い掛けると、鶚も微苦笑を返す。

 鶚は何かに気付いたように入り口の方へ視線を移すと、表情を一転、真剣なものにし、続ける。

「丁度、あんなのだ」

 そう言って指したのは鶚が先程撃退したチンピラだった。

 五人に減ったチンピラ達は真っ直ぐに瀞達のテーブルに向かっている。

 生物部の誰もが危険を感じ、五人は立ち上がる。波海はこんな時でもいつも通り、落ち着いた様子で伝票を取っていた。

「西水、葉河、瀞、行くぞ。波海、荷物と会計は頼む」

「うん。慈衛の口座から出してるから大丈夫」

 五人の間の空気が変わる。

 鶚がいたって自然な歩調で、しかし凄まじい速度で人と人の間を縫っていく。

 三人もそれに続くが、鶚ほどスムーズには行かない。

 澪は自然すぎて不自然な鶚の動きに驚きを感じる。

 人に当たらずに動くことだけではない、人ごみに紛れることでチンピラ達から上手く身を隠している。

 それはどう考えても、素人の動きとは思えなかった。

 実際、厳密には鶚は素人ではない。武道の名家の傍流である浅緋家に生まれれば、自然と身に付くものもある。

「さて、取り敢えず下に降りる。路地裏に入ると奴らのホームだが、敢えて乗るとしよう」

 そう言ってエレベーターを待たず、二十階建ての階段を駆け下りる。

 踊り場から踊り場へ、まさに飛翔する鶚のような動き。

 澪は瀞の覇力を使用し、自身と瀞に術式的な身体強化を発動する。

 知覚速度が増強され、筋力が物理限界を突破する。

 映画の撮影のような超高速の階段下りに、常人であるはずの葉河がついていけるというのは尋常ではない。

「降りたら右の路地へ……っと追いついてきた。瀞、葉河、西水を連れて行け」

「先輩、は?」

 全く息を乱さない鶚に対し、瀞は術式強化の上でも僅かに息が乱れている。

 瀞の問いに、鶚は速度を落とし、三人の後ろに回ることで回答。

「これで全員、ではない。だが、相手戦力は分断するのが吉。先に行け」

 三人は鶚を信じて下りを再開、しかし段差につまづき、瀞がバランスを崩して踊り場に倒れこむ。

 内臓から、意思外で吐き出される空気。

 後ろの葉河が止まろうとするが、その前に鶚が叫んだ。

「葉河、西水と先に行け」

 その言葉に澪も葉河も速度を戻す。

 上からは、チンピラ達のものであろう大量の足音が着実に近づいてくる。

「って覇術とか関係なくても追われるのかよ、お前」

「知ら、ない、わよっ」

 鶚ほどではなくとも常人離れした速度で階段を降りていく澪と葉河。

 飛翔と着地を繰り返す内、目的の一階へ辿り着く。

「澪、そこ出て右」

「うん!」

 二人は長く続いた階段から飛び出す。

 そこには、不気味なことに人の姿が一つも無かった。

 

 

 

「立てるか?」

 瀞の方を向きながらの問い掛け。

 上からはリベンジに燃えているらしいチンピラ達が降りてくる。

 鶚はそれを見事なまでの手捌きで受け流す。

 数秒の間、瀞は硬直して起き上がり、鶚に向けて頷く。

「大、丈夫です」

「なら下がるぞ、走れ」

 そう言って瀞は全力疾走を始める。

 鶚は降り注ぐ攻撃を避け、裁き、バックステップで器用に階段を下る。

 チンピラ達の動きは奇妙だった。

 全く恐怖というものを考慮しない動き、階段だというのに全体重を掛けた拳を放っている。

「マズい、か?」

 瀞が一階のフロアへ降り、後ろ向きの鶚が呟く。

 路地裏での無思慮さはわかる、しかし階段上であれほど危険な行為に及ぶほど彼らは勇気があるわけではないし、成功を裏付ける技術も無かっただろう。

 そこから予想できる答えは多くない。

「このまま逃げても意味が無い、迎え撃つ」

「え、でも……」

 澪は狙われている。

 そんなことは自明の事実だ。

 そして澪は今、自分無しに覇術師に対抗出来る程の覇術を使えないということも分かっている。

 葉河が付いていることがある程度の救いだが、澪は葉河の覇力を使えないとも言っていた。

 ならば自分と澪が別れるべきではなかったのではないか、と瀞は思う。

「世界は残酷で不条理だ。見る方向によって味方は敵とも見え、友でさえ虚偽によって身を守ることがある。だが……」

 鶚は瀞に考えさせる時間を与えるように言葉を切る。

「……どういう意味です?」

 彼らを除き、誰一人いないフロアを見渡し瀞は鶚に問い返す。

 鶚は小さく息を吐く。

 微笑を浮かべ、一瞬躊躇してから首を横に振る。

「信じると決めた仲間は信じてやれ、俺が言うのはそれだけだ」

 理解できない様子で首をかしげる瀞を見て、鶚は満足げな笑みを浮かべる。

 薄い笑みを浮かべた鶚の表情は、言外の何かを確かに含んでいた。

 

 

 

「何で人がいねぇんだよ!」

「人払い、だと思う」

 二人は全力疾走を続けていた。

 初めは他の人々に迷惑をかけないよう路地裏に逃げ込む予定だったが、人がいない。

 まるで開演前の遊園地のように、澪と葉河のみ。

「人払い?」

 結構な距離を離れ、追っ手がついていないことを確認した葉河は足を止めて澪の言葉に返す。

 問い返しはしたが、その意味はある程度理解できた。

 語彙と現在の状況、そして最近の出来事を思い出せば答えは簡単に見付かる。

「結界型術式の一種で、中心点に結界を発生、そこから結界を拡大していくことで術式的な措置の無い人間を範囲内に近づかないようにさせる術式よ」

「また、覇術師か?」

 葉河の溜息と共に吐かれた言葉に澪は真剣な首肯で返す。

「そうとしか考えられないわ」

 一息ついたのも束の間、二人の耳に意識的に小さくされた足音が聞こえる。

 その足音に、葉河は今日何度目かの違和感を覚える。

 重なっているのだ。

 まるで軍隊の行進のように、整然とした音が等速で。

 先程見たチンピラたちにそんな芸当が出来るとは思えない。

 戦いで恐いのは囲みのリンチだけではなく、統率された集団戦法だ。

 葉河の、生物としての勘が不審を感じていた。

「クソ、なんであんなに揃ってんだよ!」

「揃って……もしかして」

 突き当りを左折、何かに気付いた様子の澪。

 だが葉河はその答えを聞く前に澪の手を持って疾走を再開する。

 スピードに乗ってきた頃合で改めて澪に問う。

「で? もしかして、何だ?」

傀儡かいらい師、マズいかも」

 澪が告げると同時に、先行した葉河がゴミ箱を足場に塀を越える。

 後ろからの足音が聞こえなくなり、後ろを振り返って確認する。

傀儡かいらいってアレか、傀儡くぐつ。人形遣いってやつ、アレは随分リアルだけど人間じゃないのか?」

「うぅん。あれは人間、傀儡師っていうのは、対象の思考を術式的な電気信号で強制変更してしまう術者のこと」

 簡潔なところ、洗脳とも言える。

 もっとも、自我が封印された傀儡は、術者に感覚を伝える目であり耳であり、同時に遠隔的に事を起こす手足でもある。

 統率された軍隊のような動き、タネがわかってみれば至極単純な回答だ。

「元々人間にはそう言ったことに対する抵抗力があるんだけど、何か理由があった時とかにはその抵抗力が落ちちゃうの」

「それがさっき鶚に追い払われたことなのか?」

「多分、私たちに対して、負の感情を、持っていたはずだから」

 全力疾走を続ける澪の息が少し荒くなる。

 幼いことから鍛えた能力は常人離れしているし、術式によって身体能力を強化している。

 しかし澪は自分自身に覇力を持たない身、離れた瀞からの覇力と地脈からの変換によって発動した機能強化エクステンドの効力も完璧とは言えない。

 そもそも龍脈とも呼ばれる地脈は、周囲の地相などから正確に特性を割り出さないと利用可能な力が薄くなるのである。

 葉河の方は一般人にも関わらず、涼しい顔で走り続ける。

「それで、ソイツの効果範囲は? てか、心当たりは?」

 冷静な葉河の指摘に澪は僅かに感嘆を覚える。

「傀儡師“影”本名は知らないし、顔も見たことない。誰も知らないって言う噂もある」

「じゃあ、その効果範囲は?」

「通常の傀儡術式は半径数十メートル、対象の人数によっても変わるらしいけど」

 澪は流体の制御に重点を置いた遠隔術式系の覇術師である。

 機能強化エクステンドの多重行使によって身体能力や反射速度を超的に上昇させる、羽雲のような術式剣士とも、“影”のような操作系の傀儡術式とも違う。

 物質制御系は基本は簡単だが、それ故にそれで高位に至る術士が少ない、澪はそんな中で“調律師チューナー”の異名を持つ、数少ない高位術師である。

 しかし、元々覇術は論理の理解よりも感覚的なものが強い。

 そのため他系統の術式を問われても普通は答えることが出来ないのである。

「私の場合は人を対象にしたものじゃなくて形代カタシロを使った傀儡術式だけど範囲は同じくらい。でも“影”は対人傀儡術式のスペシャリスト、半径ニ、三百メートルの距離で十人以上の傀儡を操れるって……」

 そこで澪の言葉が止まる。

 行き止まり。

 追っ手を振り切ろうと、路地裏に入ったことが完全に裏目に出た。

 更に悪いことに、軽めの足音は確実に二人に近づいている。

「よかったよかった、まだ無事だったみたいだね」

 聞こえてきた声は、あまりにも予想外のものだった。

 その声の主は二人にとって、あまりに意外な救世主だった。

 


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