人の無いビルの中、一人の少女が歩みを進める。
滑らかな黒色の髪が冷房の風にあわせて僅かに揺れる。
「正直、こんな役回り苦手なんだけどなぁ」
少女は左の手首、価値の付け様も無さそうな腕輪を見つめ、自嘲を含んだ独白に笑む。
そのまま視線を上に、左手に握った片刃の刃へ流していく。
「まぁ、たまには我侭も聞いてやらないと駄目だしね」
まるで空気を裂いたかのような緊迫が流れ、消える。
それはその刃から、ではない。
彼女自身から溢れた、人ならぬ莫大な力。
だが、それでも。
少女の笑みは、場違いなほどに笑みだった。
〜ふぁんふぁんファンタジー〜
〜第十六章〜
まるで屍のように積み上げられたチンピラ達。
十を超える彼らは、ある意味では加害者だが、やはり被害者でもあるのだろう。
葉河にせよ、澪にせよ、慈衛にせよ、彼らに深い同情の念を抱くことは無い。
しかし傀儡とされ、その間の記憶を失い、そして知らぬ間に節々が痛くなっている。
そんな状況に澪は僅かながらの哀れみを感じる。
「瀞と鶚と別行動してんだけど、早くアッチにも手助けしてやらないとマズいだろ?」
「うん。この結界内に強力な術式の反応があるね……多分、彼らの方だろう」
何のことも無いように、淡々と告げる慈衛。
しかし葉河と澪にとって、聞き置けない内容だった。
「早く助けに行かないと。瀞は一人じゃ機能強化
澪の焦燥感たっぷりの言葉にも、慈衛は動じない。
むしろ、楽しさ満開とでも言ったかのような、悪戯を完了した悪ガキのような笑み。
「大丈夫だよ。ホラ、僕って一応学園長だしさ? 信じてみようとかって思うでしょ?」
「で?」
葉河の着色の無い素直な一文字の反撃に、慈衛は仕方なさ気に自身の意味を告げる。
「だって君達も、好き好んで熔鉱炉に近づきたくないだろ?」
慈衛の笑みは変わらない。
葉河も澪も、その言葉の真意を理解することは出来なかった。
この時は、まだ。
立ち昇る陽炎。
灼熱が支配する鶚の世界。
最早、鶚の周囲は全くの異世界とも言えるものとなっていた。
アスファルトが溶解をはじめた大気は、既にそれ自体が凶器となる。
「マジ……かよ」
あまりに現実離れした現実に、瀞は我が目を疑う。
それが幻想であるとわかっていれば、こうも驚きはしないだろう。
幻想か現実か、わかっていなければ見間違いだと感じるだろう。
しかし、覇術という現実の中の幻想を知る瀞の脳は、それを現実であると確信している。
「だから……」
だからこそ、恐ろしい。
――覇術とは、こうまで恐ろしいものなのか、と。
瀞は覇術は凄い技術ではあっても、精々銃器での撃ち合い程度のものだと思っていた。
しかし、目の前の現状。
これは銃器の撃ち合いなどという生易しいものではない。
まさに、兵器の撃ち合い。
瀞は驚愕し、恐怖すら抱いていた。
目の前の光景に、そんな力を秘めている覇術師に、そして覇術師となりえる自分に。
「瀞」
極度の緊張に膝が支えを無くして倒れそうになった瞬間、鶚の声が瀞に届く。
安心を生むその声に、瀞は我にかえって足を支える。
「あの二人の所へ向かえ」
「は、はい!」
憔悴した表情の瀞はその場で向きを変え、一目散に走り出した。
二人の居場所も知らないというのに。
「……仲間思いだな」
「後輩思いなんだがな」
言い終わると同時、構えられた刃に力がこもる。
両者とも、決定的といえる隙は無い。
どちらかが動けば、あるいは傷を負わせることが出来るかもしれないが、どちらも無傷というわけにはならないだろう。
だからこそ、達人同士であるからこその、膠着。
動きを止めた緊迫の空気の中、鶚が溜息と共に言葉を紡ぐ。
「何故、西水を狙う?」
「我らが師、陣原荘華の意向だ。彼女は、犯してはならぬ罪を犯した」
罪、という言葉に僅かに反応する鶚。
しかしそれを表情に出すことは無い。
ただ淡々と言葉を返す。
「陣原……か。アンタと西水は同門、ということだな。友情だとかそういったもんは無いのか?」
「そういったものを下らないとは言わない。彼女に恨みも無い。しかし我々も“掟”を破った者に容赦は出来ない」
「“俺は掟というものが嫌いだ。いや、あらゆる全て何もかも、縛られるということが大嫌いなわけだ”と。まぁ、この言葉は受け売りの受け売りだが……」
瞬、と、鶚が動く。
それは動きを見せぬほどの疾さ。
超速の移動にも取り乱すことなく、南軒は刃を構える。
鶚は、不敵な笑みを浮かべながら、そこに立っていた。
「熔鉱炉?」
ゆったりとした歩みの慈衛に合わせて歩調を緩めながら葉河は慈衛に問い掛ける。
「うん、あそこには鶚がいる。彼が本気を出したら大変なことになるからね?」
何のことも無いように言い笑む慈衛だが、鶚が覇術師であるという事実に澪は驚く。
葉河についてはある程度の予想がついていたようで、確認程度に首を振る。
「澪ちゃん。浅緋の名前を聞いて、知らないわけじゃないよね?」
「やっぱり浅緋って、あの?」
浅緋家。
多数の覇王を輩出してきた覇術の名家である。
神位の家系、焔家の傍流に当たる彼らは物質の温度変化、取り分け過熱の術式に置いて皆が皆、稀有な才を持つ。
火の術式の最大手、四大覇術名家の一つに数えられるほどである。
「へぇ……やっぱ凄いのか」
「まぁね。それに彼は浅緋の近代史でも特に凄い。腐っても名家な陣原家でも相当の術士が出てこない限りは安心出来る」
慈衛の口から生まれるのは言葉と共の、絶対的な自信。
それは単純に血筋であるとか、才気であるとかだけからの言葉ではないことを葉河は理解している。
彼は、信頼しているのだ。
生徒であり、恐らくは友人でもある鶚のことを。
それがわかったからこそ、葉河は一人満足そうに頷いた。
血液。
それは古来より呪術的に重要な意味合いで見られ、術式の媒体として強力な力を持っている。
ヘモグロビンの結合によって体内に酸素を満たすそれは、化学的な面であっても“命の液体”そのものといえる。
「君は、何故戦う? 浅緋の、焔の傍流たる名家の末子が」
「先程言った通り、後輩思いなんだよ」
大気が振るえ、巻き起こる旋風。
それは風の術式からではなく、瞬間的な温度差から生まれた無機的な風。
渦巻く風を残し、鶚は疾走を始める。
「ッ!」
南軒の周囲に竜巻が発生する。
それは術式によって顕現する覇道の風。
迫り来るそれを、鶚は薙ぎ上げの一撃で討つ。
物質でない概念の流動を概念の燃焼で焼き上げる。
「君に対してこれは小細工にしかならないか」
四月だというのに陽炎が生じ、風景が歪む。
アスファルトが溶けたように見えるのは蜃気楼ですらない確固たる現実。
焔術師である鶚は高度の熱量に対する耐性を持っているが、南軒にとっては体力を奪う地獄の熱射でしかない。
小細工に時間をかければ、体力はじわじわと、しかし確実に削られていく。
「なら……」
正面から、術式ではなく、培った剣術で鶚を討つ。
「良いだろう、受けて立つ」
南軒が刃を鞘に収め、腰を落とす。
それは居合術の構え。
対し、鶚は握り込んだ柄を左上へ持ち上げる振り下ろしの姿勢。
数瞬の沈黙。
それを破ったのは南軒の方だった。
軸足に術式強化した身体能力による超筋力を加え、弾けるように前へ跳ぶ。
超速の中、南軒は小烏を抜き放つ。
鶚は動かない。
反応し損ねたと見える鶚に対し、南軒は勝利を確信する。
『甘い』
鶚の唇が、動きだけで言葉を告げる。
その表情は不敵な笑顔だった。
左上から右下へ、緋色の長柄が南軒の超速が鈍足に思えるほどの超絶速度で振りぬかれる。
一瞬、大気との摩擦で刀身に火色の赤が走る。
「!」
南軒の感覚が熱を感じる。
鶚の発した炎熱ではなく、流動する自らの、赤き命の熱を。
そして南軒は意識を失う。
その原因が死の恐怖にあったのか、それとも他の何かだったのかは本人しかわからない。
「急所は狙っていない。出血多量にでもならん限り死にはしない」
嘆息を吐きつつ、意識の無い南軒に向けて宣告する。
とはいえ、南軒の胸板からは焼け付くような血の流れが止まらない。
「世話が焼ける」
南軒の傷口に長柄の峰が柔らかく触れると、表面の血が焔を上げて燃焼を始める。
周囲の炭素を巻き込んだ燃焼により、南軒の傷口は炭化、血流は治まる。
「まぁ、まだ一応、同種殺しはしたくないしな」
そんな自嘲に鶚は俯きつつも笑みを浮かべる。
動物が運動に使用するエネルギーは栄養分を燃焼させて発生する熱量によるものである。
そして、浅緋家が持つ“血”の力は熱量を過剰なまでに蓄え、急激に解放するというもの。
つまりは常人では一度に蓄えることすら出来ない超級の大熱を瞬間的に運動エネルギーへと変換、人知を超える筋力を生み出す。
しかもそれは、術式によるものではない、デフォルトでの特異体質。
「一撃勝負なんて考えた時点でお前は俺に負けていたんだよ。そんな勝負で俺が負けるわけが無い」
浅緋の血は、蓄えた熱を急激に放出するものである。
鶚は周囲に張った炎熱の術式によって体温を上昇させていたが、それはある程度の時間を要する。
炎熱が周囲を支配し、陽炎が生まれた時には既にお膳立ては終わっていた、ということだ。
つまり、鶚の真の領分は術式外の一撃離脱
それは南軒の判断ミスとしか言えないだろう、それも致命的な。
「さて、合流するとするか」
焔の少年は周囲の熱の沈静を確認し、後ろへ向き直って歩き始めた。
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