「何者?」
人一人いない建設途中のビルの三階部。
影の男は焦燥に駆られ、虚空に向けて問いを放つ。
圧倒的な波動が迫っている。
逃れられない、絶対に。
その重圧は、精神的なものだというのに、物理的にも影の男の体温を下げた。
「だ、誰だ!」
再び問い掛けるが、答えは無い。
ただ、返ってくるのは沈黙ではなく、響く靴音。
音だけの存在が、圧倒的な力を放っていると言うのに、だからこそその本体がどこにあるかわからなくなるほどの存在に対する恐怖を増幅させる。
「私? 私は無限の横に侍る者、かな」
名を聞いて戦慄する。
全ての世で、二番目に敵に回してはならない存在。
それが、彼女。
「私に殺されるのと、私に死なされるの、どっちがいい? その程度は選ばせてやるよ」
中途半端な男言葉を混ぜ、彼女は笑みを浮かべる、
回答は無い。
顔面蒼白になりつつ、影の男は手だけで背後を探る。
黒髪の少女が左手に握った刃を解放すると、超絶の刃は一振されることすらなく、その場の影の男を消し斬った。
〜ふぁんふぁんファンタジー〜
〜第十七章〜
瀞は春中の猛暑から走り離れる。
今先程分かれた澪と葉河の場所はわかりはしない。
しかし鶚に返事をした手前、とりあえずいそうな雰囲気の方向へと走っていた。
「あ、瀞君。大丈夫? ジョブジョブ?」
「……ハ?」
瀞はその姿を見て素っ頓狂な声を上げる。
少年のような容姿はしかし、だからこそ彼であると明言できる。
胡散臭い模様の描かれたカードを右手に、蒲原慈衛が手を振っていた。
「瀞君、改めて自己紹介三分の二! 僕は蒲原慈衛、雷符系覇術師だよ?」
なんと返すべきかもわからず、瀞は億劫そうに首を振る。
慈衛の後ろには葉河、続いて澪の姿もある。
二人の無事に安心した瀞はようやく足の支えを失って前倒れになる。
「なんか……力抜けた」
疲れた様子の瀞の笑みに慈衛は満足そうに笑顔を返す。
「そうだ。鶚先輩が覇術師で焔でコンクリ溶けて……」
瀞は混乱した思考をなんとかまとめようとするが上手くいかない。
「慈衛に聞いたよ。ってか熔鉱炉ってそう言う意味か……」
葉河はアスファルトを溶かす、覇術という力に対しても大した驚きはない。
ただ、後始末をどうするのか、という下らないことに思考が回っていた。
そんな何気の無い疑問を慈衛に問い掛ける。
「アスファルト溶かして……どうすんだよ? この後」
「大丈夫。鶚のことだから被害は最小限にしてくれただろうし、急に地盤が沈下したとか、間欠泉が突然吹いたとか。そういう情報統括専門の友達がいるからその人に頼んでおくよ。最有力候補は小型隕石の落下、かな? 何もしなければ、色々とテレビで突付かれそうな話題だね」
葉河は慈衛がしっかり考えていると言う事実に、意外を感じると共に安心する。
付き合いが長いからこそ、葉河は慈衛のズボラさを知っている。
二人が再開したのは神原学園の生物部に入った時、風也に勧められて会ったのが初めてである。
その前にも会ったことがあるような感覚はあるのだが、それがいつだったのかは全く思い出すことが出来ない。
「まぁ、今までも色々とあったよ。これよりも大事もあったけどしっかり処理されてるから、葉河が心配しなくても大丈夫だよ」
確かに、プロである慈衛の友人に対し、つい最近まで世界の表しか知らなかった葉河が心配をするなど、まさに釈迦に説法である。
「……ん?」
不意に、葉河が眉をひそめる。
空間が変わるような感覚、元に戻っていくような感覚。
結界が解けたのであると、瀞と葉河が理解する前に、慈衛と澪は頷きあって思考を確認、結界の中心部へと向かう。
葉河は瀞の手を持って立たせると、覇術師張りの速さで疾走を始めた。
「結界が、解けた?」
鶚はゆるりと歩きつつ、世界の再改変の感覚を捉える。
同時に一瞬、僅か一刹那にも満たない瞬間に一つの強大な波動を感じる。
「この波動、アイツ……」
恐らくは、三人とも結界の中心点へ向かっているだろう。
そう思考し、鶚も結界の中心へと足を向けた。
解けていったことでわかった結界の中心点。
そこは人の気配の無い建設途中のビルの中。
生暖かい感触が周辺を覆っていた。
それは、鶚の焔によるものでも何でも無い、周囲に散った血液が生む不気味な温度。
「なん、だよ、これ……」
まず口を開いたのは瀞だった。
瀞がそんな感想を漏らしたのも無理は無い。
その人は、否、ヒトサイズの生物だったであろう死体はあまりに無残だった。
血液から脳漿に至るまで体の器官という器官が切り裂かれ、外気に晒されていた。
原型が残らないほどに細分されたソレは、最早その肉の大きさからしか人間であると言う事を想像出来ない。
「死体だな」
意外なまでに、葉河は平静を保った状態で答える。
しかし息が僅かに深くなっているのを見れば、動揺をしているということはわかる。
「……影、かな。澪ちゃんに本人確認をしてもらうつもりだったけど……『こんなもの』から本人確認が取れるわけがない、か」
澪はフロアの端で、膝をついて項垂れている。
疎遠で、そして今は相対する敵となっていても、彼は澪の同門だったのだ。
そうでなくともそれは、いくら覇術師だとはいえ、十代半ばの少女が見られるようなものでは無かった。
小さく響く嗚咽が、影の男に対するせめてもの鎮魂歌のようだった。
「……酷い有様だな」
周囲の惨状を見回すと、到着した鶚が苦々しく告げる。
一息の嘆息を吐き、澪の肩を叩く。
今、澪にしてやれることはないということを鶚は理解していた。
瀞も、葉河も、慈衛も、心のどこかで。
「瀞、葉河、西水……」
言葉が、見付からない。
覇術師として、せめて何か言葉を告げたかった。
しかし、鶚とてここまでの惨状を見たことは無いのだ。
だから、何も言えない。
「鶚は優しいね。本当に」
でも、と。
少年の顔の学園長が、場違い極まる笑顔で告げる。
「瀞君、葉河。覇術の世界に首を突っ込むということは、覇術師になるということはこういうことを覚悟する必要があるってことだ。君達は事を安易に考えすぎてる」
ややあって、慈衛は言葉を続ける。
「覇術師になれば、こうやって無残に殺される事だってあるかもしれない、こうやって無残に殺さなきゃならない事になるかもしれない。それを全部、理解しないで、覚悟しないで、覇術師になることは出来ない」
言葉を終えた慈衛の瞳は、いつになく真摯で、どこまでも真面目だった。
瀞は、わかって、いた。
鶚の見せた覇術師という存在の力を見た時に、これが命に関わるものなのだと、実感した。
しかし、それでも殺す覚悟などは出来なかった。
そして、今も。
「クソ……」
瞳が動き澪を捉える。
眼光には先程のような真摯さだけでなく、どことなく哀しげで、慈悲すら含むまれている。
「理解してるし、覚悟だってしてる」
気まずい沈黙を破ったのは葉河。
「でも、そうしたいとは思わない。だから、覚悟はしても俺はそうしなくて済むようにしたい。俺は、俺のままでいたい」
どこまでも率直で。
誰よりも実直な。
葉河の言葉がフロアに響く。
それは、慈衛が望んだ、最高の答え。
「それで、良いよ。自分のままで」
慈衛の顔には笑顔が戻っている。
「それで、良いんだ」
「うん……」
その言葉は澪に向けられていた。
慈衛の情報網は広い。
澪が何故追われているのかも、そうなった理由も知っている。
だからこそ、澪に言葉を向けた。
安心して良いのだと。
自分も、皆も、そのままでいて良い存在なのだと。
「うん……」
その澄んだ藍色の瞳は、赤ばんでいる。
澪は涙を拭き、誰に対してでもなく頷く。
「ありがとう、本当に。ありがとう」
澪は、そう言って微笑んだ。
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