「あの、女……」

 男が全てのカーテンを閉めた薄暗闇の中で呟く。

 それは澪達のいるビルから、数キロ遠方のカプセルホテルの一室。

「偽体だったから良かったものの……」

 偽体。

 そう、偽体。

 彼は、彼こそが傀儡師“影”

 彼の術士としての真価は多数の傀儡の操作ではない。

 有機物質によって命無きヒトガタを生み出し傀儡とし、それらを媒体として更に傀儡を操作できるという、術式の特異さである。

 彼は、死んでいなかった。

 その事実を、彼女は知っていたのだろうかと彼は思う。

 無限の横に侍る者を名乗った、黒髪の少女は。

 

 

 

〜ふぁんふぁんファンタジー〜

〜第十八章〜

 

 

 

 大通りには、人の気配が少しずつながら戻っていた。

 運良く業者は休みのようだったが、建設途中のビルから高校生が出てくるのは見栄えが良くない。

 それ以上に、誰がやったのかはともかく、片付けも行わなくてはならない。

「うん、そう。あぁ、うん。それじゃ頼むよ」

 頷き、慈衛は携帯の電源を切る。

 電磁波を自在に操る彼が身に付けている電子機器は、周囲の電磁波の影響を受けない特注品である。

「事後処理の方は祓い屋の人達にお願いしておいたよ。嫌な事件だったから難しいかも知れないけど、気分転換しよ?」

 それはいつもと変わらない慈衛の笑顔。

 あれほど凄惨な光景を目にした直後だというのにこんな表情でいられることが、慈衛が本当に覇術師なのだという実感を瀞と澪に持たせる。

「うん」

 力無い笑みで返す澪。

 先程の慈衛の言葉は澪の心を確かに癒してはいたが、それでもいつも通りというわけにはいかない。

「あ、あぁ……そうだな」

 瀞はそこで何度目かになる溜息を吐く。

 女の澪が立ち直りかけているのに男である瀞がいつまでも女々しくしている、というのも仕方が無い話ではある。

 性別が違うからといって心が負うショックは変わらない。

 それどころかつい先日まで、覇術のある世界と関わってこなかった瀞の方が受けるショックが大きいのは当然のことだ。

 しかも、瀞の心には慈衛の言葉が刺さっていた。

 覇術師になるということは、殺し、殺される覚悟が必要だという、真実の、そして自分達を気遣った言葉が。

「ってかあんだけ派手にアスファルトが溶けてて、すぐ前のデパートがやってるわけもねぇよな……」

 葉河は変わらない。

 あの惨状を目の当たりにした時も、顔をしかめただけで辛く感じているようには見えなかった。

 本当に、葉河は変わらない。

 特別感情の起伏に乏しいわけじゃないというのに、葉河は覇術を知った時も、覇術師と対した時も、いつも通りだったのだ。

 瀞はそれを不思議に思うというよりも、その強さを羨ましく感じる。

「うん、最低でも週単位での休みだね。下手をすると何ヶ月か掛かるかもしれないし。まぁ、アッチの百貨店に行こ? あそこは何でもあるしね」

 今日、この街に来たのは澪の生活用品の購入と旅行の準備のためである。

 襲撃と、知人二人が覇術師であったという事実の二つで瀞の頭はいっぱいになっていた。

「ってかさ、必要最低限のものは大体あるだろ? だから携帯と洋服買うつもりだったんだよな」

 葉河が思い出したように言って自分で頷く。

「じゃあもう用ねぇじゃん、帰ろうぜ」

「色々とあったからね……まぁ、帰る前に何か食べてこ? 全部僕の奢りで良いよ。まぁ、言うまでも無くドンドン使われてるけどね」

 楽しそうな口調は、勝手に金を使われていることに了承しているのを意味している。

 どこからそれほどの金が入っているのか、と瀞は考えるが、この男はこう見えても学園長なのだということを思い出す。

「寿司食おう、寿司。当然回らない奴」

 思い付きを提案する葉河。

 肉料理と言わなかったのは先程の惨状の影響なのかもしれないし、だからこその気遣いかも知れない。

 当然、誰もそれに反論する者はいない。

「わかった。じゃあ予約とるね」

 慈衛以外は高校生、しかも慈衛自身も見た目は高校生以下である。

 この一団が高級寿司屋へ行けばどう考えても場違いだろう。

 だが、慈衛は慣れた様子で電話を掛けると、手際良く予約を入れている。

 人間、見た目ではわからないものである。

「じゃ、行こうか」

 そう言って慈衛は歩き始めようとするが、葉河に待ったを掛けられる。

「ん? どしたの葉河、忘れ物?」

 あぁ、と言って

「波海を忘れてる」

 言葉の瞬間、葉河の背後に、見て取れぬ超速の一蹴が炸裂した。

 噂をすれば影がさす。

 まさにそんな言葉を体現する、川潟波海の登場だった。

 

 

 

「あ、僕は卵と河童巻で」

 慈衛の子供っぽさ満点の注文に一同はうわぁ、と呆れた表情を見せる。

「ん? 頼みなよ。全部僕の奢りだよ?」

「あ〜……じゃあカジキとマグロ。サビ抜きで」

「私もメバチとビンチョウのサビ抜き」

 慈衛の言葉に最初に反応したのは葉河、続いて波海。

 メバチもビンチョウも、同じマグロである。

 二人揃ってワサビ抜きを頼むのは、単純に辛いものが苦手だという理由。

「俺はタチウオとシャコを」

 渋めのチョイスは鶚、高校生らしさは全く無い。

「私は赤貝」

「俺サバとカツオ」

 澪と瀞も、やはり高校生らしさの無い注文。

 それぞれがネタの好みについて語ったり、何とも無い生物部の近況を話したりして時間は見る見るうちに過ぎていった。

 波海がいたために覇術関連の話は出せなかったが、それは全員にとってかえって良い方に向いていた。

 自分達には、この楽しい日常という場が残されているのだと実感することが出来たのだから。

 

 

 

「ふぅ……食った食った」

 大きく息を吐きながらの瀞の言葉。

「幾ら分食ったつもりだよ、お前……」

 そういう葉河も瀞に負けず劣らずの皿数を食べ終えていた。

 何食わぬ顔の波海も同じく。食べた物がその整った身体のどこに消えているのかと澪に問われるほどである。

 質問者が葉河か瀞であれば、一撃必至の言葉だったが、澪だったために笑顔の冗句で終わった。

「慈衛の懐事情が気になるくらい食ったな……」

「大丈夫大丈夫、お金はいらないくらいにあるからね」

 しみじみとした葉河の口調にも慈衛は相変わらずの笑顔で返す。

「あぁ、そうそう。葉河と瀞君は話があるんだけど、学園長室まで来てもらっていいかな?」

「えぇ? 今からかよ?」

 空は浅緋を超え、夕闇を醸し出した時間帯。

 時計を見れば六時過ぎ、四月の六時はもう明るいとはいえない。

「澪を一人で帰らせるのか? 追っ手が掛かってるのに」

 波海に聞こえないように注意を払った葉河の小声の指摘に、慈衛は大丈夫、と返す。

「一気に三人も来ないだろうし、まぁ、保険として鶚に付き添ってもらおうかな?」

「勝手に決めるな、と言いたい話だが、まぁ構わんが」

「じゃあ決まりだね」

 瀞、葉河は慈衛と共に学校へ。

 鶚、澪、波海の三人はそれぞれ家に向かって歩き始める。

「夕飯にしては早い食事だったが……もう食べる気は出ないだろ」

「うん」

「まぁね」

 貧乏人ならば一生分食べた、と言っても遜色無いほどに豪勢な食事をたいらげた二人は苦笑で返す。

 別に急いでいるわけでも無いのに足が速く進むのは、速く横になりたいという生物としての本能なのだろうか。

「最近物騒な話をよく聞くんだよね」

 速度を落とさずに歩きつつ、波海は後ろへ振り返る。

「加古原の自転車は壊されたっていうし、他にも被害例は色々とね。それに、その周りで不思議な光を見たって人もいるし、幽霊か宇宙人かも知れないってオカルト研で言われてるけど、どうなんだろうね」

 そう言った出来事はもしかしたら覇術に関わることなのではないかと澪は思う。

 しかし、それを波海に話せば、彼女の性格上いくら断っても関わってくるだろう。

 波海まで危険な目に遭わせてはならない、既に瀞と葉河、二人も巻き込んでしまっているのだから。 

「そういうのはオカルト研に任せておけよ。まぁ、人外の知的生命体だったら生物部の領分だがな」

 何だかんだと言っている内に分かれ道。

 波海は二人に手を振りながら道を曲がっていく。

「ねぇ……鶚」

「ん?」

 相変わらずの歩調で道を進みながら、唐突に澪が声をかける。

「何で、覇術師になったの?」

「家系だ。そのくらいは知ってるだろ、焔の傍流。まぁ、俺としては血統で価値を決めるというのは迷惑でしかないが」

 浅緋の家系は覇術の家系。

 そんなことは澪も知っているし、先程の熱気からその実力も推し量ることが出来る。

「でも……」

 だが、それだけではない。ただ家系がそうであったから、という理由であれだけの力を得ることが出来るはずもない。

 あの力を得るために、鶚が壮絶な鍛錬を積んでいたということは明白である。

「本音を言えば、とある奴の気持ちが知りたくてな」

「とある……奴?」

 あぁ、と鶚は視線を遠くへ向ける。

「ソイツはあまりに強すぎて、だから力を封じて、でも身内を護って、そしていつでも変わらず、ただただ楽しくいられたらしいんだよ」

 澪にはわからない。

 鶚の言葉の意味が。

「俺はなりたいんだな。強さを持って尚、変わらずにいられる存在に」

 人は、弱い生き物だ。

 強さを持てばそれまでの自分を失い、変わってしまう。

 鶚の願いはただ、自分に勝てる自分になりたいという、単純で、しかし難しすぎるもの。

「なれてると、思うな、私は」

「……まぁ、少なくともそれがきっかけだ。と言っている間に着いたか」

 見慣れた道は、瀞と葉河の住むマンションの前の道。

「ありがとう」

「あぁ。じゃあな」

 鶚は後ろ手に手を振ると、そのまま夕闇に消えていった。

「眠い……」

 鶚の言葉は身に染みたが、家の前に着いた途端に眠さが増した。

 それはきっと、そこを心の底から安心出来る場所だと思っているからだろう。

 澪は階段を上り、瀞から預かっている鍵で扉を開ける。

「あれ?」

 鍵を回しても空転の感覚。

 それが意味するのは不施錠。

 しかし、確かに鍵は閉めた、澪自身が行ったことだ。

 静かに扉を開けると、電気が点いており人の気配もある。

 澪は龍脈の覇力から機能強化エクステンドを展開、強化した身体能力で侵入者へ忍び寄る。

 侵入者の姿は簡単に捉えられた、というよりも目立ちすぎた。

 スレンダーな体型は、侵入者が女性であることを示している。

 腰まで掛かる長髪は、澪とよく似た僅かに青味がかった紺。

 パステルカラーの服装が侵入者という響きと相反する派手さを生んでいる。

 澪の右手には果物ナイフ。

 覇術師相手に致命的な武器とはならないだろうが、せめて牽制程度には使えるだろうと考えての行動。

「ここで何をしてるの?」

 気配を完全に断ち、果物ナイフの刃を侵入者の首に当てる。

 刃が見えない状況は想像を生み、相手を降伏させるのに役立つ。

「……随分とご挨拶だなぁ、西水澪ちゃん」

 侵入者は金属質の冷たい感触にも一切動じない。

 ただの空き巣でないことは明白。

 だとすれば自分の名前がバレていることも頷ける。

「ここは蒼海瀞の家、何でここに……」

「違うよ」

 澪の言葉を遮り、侵入者の女は澪へ向く。

「ここは、蒼海瀞の部屋じゃない」

 え? と感嘆の声を上げる澪に、侵入者は意地悪げな笑みを浮かべる。

「ここは蒼海瀞と西水澪が住んでいる。でもね、権利自体は私にあるんだもん」

「それって……どういう……?」

 驚きを隠せない様子の澪を見て、女は満足げに頷く。

 いつの間にかナイフの射程外に出ている。

「私は蒼海霞、あのバカの姉をやってるここの世帯主だよ」

 侵入者の女は、否、蒼海霞は悪戯を成功させた悪ガキのように、至極嬉しそうにほくそ笑んだ。

 


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