四月も下旬に差し掛かった神領市。
気の早いハルゼミたちの声が織り成す蝉時雨。
心地良い日差しは、それこそ夏のそれと変わらない。
しかしそこに夏の安らぎは無かった。
ゴールデンウィークを直前にして、神原学園の生徒達は強大な敵との戦いに疲弊していたのである。
蝉と同様、早すぎる定期考査という、強大すぎる敵に。
終えて更に、苦しみを与える恐怖の存在に。
〜ふぁんふぁんファンタジー〜
〜第十九章〜
テストの点が常時変わらないのは当然、何もやっていないため。
それでも蒼海瀞は、平均点マイナス十五点という赤点のラインをギリギリで下回っていなかった。
下には下がいるわけだが、瀞は陰鬱な表情で溜息を吐く。
「……溜息を吐くと幸せが逃げるって前に柚が言ってたぞ」
「うるせぇ」
特に勉強をしているわけでもないと言うのに、何故か点が良い葉河が何を言っても、今は皮肉にしかならない。
葉河もそれは承知しているので、テストの後にはそう言った話題に触れようとはしない。
ちなみに葉河の得意教科は国語と生物と化学、他の科目は中の上程度ではあるが、その三科目に置いては学年で一、二を争うほどの点数を取っている。
だが、今回葉河にとってもイレギュラーだったのは澪の点数である。
合計点で、瀞はおろか葉河の点数をも上回り、転入早々学年総合三位という凄まじい結果を出してしまったのだ。
「何でこの間この世界に来たばっかの澪に他の科目はともかく、国語とか世界史まで負けなきゃならねぇんだよ」
ぼやく瀞に澪は答える。
「こっちの世界の言葉は単純だもん。神垣の言葉は色んな“意味そのもの”を伝えるものだから、どんな文章でも読めば意味がわかるし」
つまり、言語の分野で澪に勝てるわけが無いのである。
だが、だからこその不満。
「まぁ、触れてやるな」
「瀞は成績悪いからね……」
葉河の言葉に柚がフォローとは言えないフォローで返す。
「そういう柚だって自慢できる成績じゃないでしょ」
笑顔満面の波海の声。
確かに、柚の成績は瀞と比べて別段高いものでもない。
言葉で表すならば平均以上、他に示す言葉が無いような微妙な成績である。
「お前の点数を聞くと瀞が精神的に死ぬからやめろ」
葉河の言葉は実に正しい。
波海の点数は一言、凄まじいとしか言いようが無い為である。
「もう、テストなんて大ッ嫌いだぁ……」
好きな奴はいないよ、と葉河、柚、波海が三者三様の言葉で返す。
「まぁ、点数の話はもう終わりだ。ゴールデンウィーク突入を喜ぼう」
じゃあね、と言って帰宅する柚と別れ、三人は暗すぎるオーラを纏った瀞を引きずって生物部室へと向かった。
「全員揃ったね。瀞君は意気消沈してるし、全部予定通りだね」
澪、葉河、波海の三人と、引きずられた瀞の姿を見、無邪気な笑みを見せる風也。
その時には既に、生物部の部室には全ての部員が揃っていた。
「さて、僕達が合宿に使っている場所だけどさ、皆は宿舎とか誰の持ち物か知ってた?」
持ち物。
それはつまり、個人所有物であると言う事を示している。
合宿に使用している宿舎は、今まで使われただけでも三つあり、しかもそれらが生物部の合宿意外に使われるという話も無い。
風也は、あのね、と前置きをして言葉を続ける。
「今回はその人も合宿に着いてくるらしいから、紹介しておきたいんだ」
「風也先輩、その人って先生ですか?」
「うん、立場上は先生だね。見た目と性格は絶対に違うけど」
柾斗の疑問に対する風也の答えで瀞の疑問が氷解する。
立場上は先生であり、見た目と性格が先生らしからぬ存在。
瑞姫もそれに当てはまると言えば当てはまるが、それ以上の適役が存在するのを瀞は知っている。
「じえ……学園長ですか?」
「うん」
風也は満面の笑みで即答。
その笑顔に促されるように風が流れ、気の早い風鈴が澄んだ音を生む。
「百合ちゃんと弥生、あと椛ちゃんと柾斗君は知らないかな?」
「風也チャン、ウチって校長でしょ?」
初めて、この学校の学園長という存在を聞いた時の瀞と同じ対応の百合。
「校長もいるけどね。最終的な決定権は慈衛にあるんだよ。さっきメールを送っておいたから、そろそろ来るんじゃないかな?」
学園長、つまりは学校に置ける最高権威者をわざわざ呼びつける風也は、聞くだけであれば随分と恐いもの知らずなものだが、見た目も性格も雰囲気も、明らかに同年代のオーラを纏った慈衛であれば、呼び出されてもおかしくないと思える。
慈衛が学園中を歩き回ったところで、知らない人間が彼を学園長であると認識することは無いだろう。
「じゃあ神原慈衛先生か」
「会えばわかるけどね、あれは先生って呼ぶものじゃないよ。しかもウチの学校は神の原で神原だけど、慈衛は蒲の原で蒲原なんだよ」
弥生の声に風也の答え。
風也が再び満足げな笑みを見せたかと思うと、不意にドアがノックされる。
「入っていーよ」
「んじゃお邪魔しま〜す」
風也の言葉に、慈衛が入室する。
アロハのシャツに半ズボンという、季節を先取りしたというよりも気の早い、凄まじいまでにラフな格好の慈衛は生物部の面々を見渡し、人懐こい笑顔を向ける。
「初めましてじゃない方が多いね。でもまぁ、初めまして、この神原学園で実は一番偉かったりする、学園長の蒲原慈衛でーす」
そして、右手を挙げ、いぇい、と一言。
「歳は秘密だよ。何か質問ある? ちなみに敬語はナッシングだよ? 先生に圧力かけて成績下げるよ?」
初対面で意味不明に理不尽な言葉も、慈衛の無邪気な口調で聞けば憎めない。
どちらかと言えば、それは好印象を与えるものだった。
既知の人間は呆れ半分といった表情で苦笑。
「何て呼べばいいの?」
「何でもいいよ。でも、僕が尊敬する彼の意思を受けて、敬称は抜きね」
その答えに、百合はう〜ん、と少し悩んだ後、閃いたように顔を上げる。
「じゃあ慈衛チャンね。私は宮島百合で、こっちが弟の弥生」
「よろしく」
「こっちこそヨロシクね、これからはちょくちょく顔を出すつもりだからさ」
実のところ、常時の慈衛の仕事は皆無に近い。
受験生の選別や、その他仕事が無いわけではないが、大抵は校長がそういった業務を行っており、特別関わりたいこと以外の仕事はしないのである。
つまりは、暇なのだ。
「趣味なぁに?」
「メイドッ!」
椛の質問に、慈衛はカッと目を見開いて、音より早く即答する。
そんな相変わらずの答えに、瀞は苦笑を漏らす。
「じゃあ合宿で皆で着よっか?」
「うんソレだ是非そうしようしようしよう!」
椛の提案に、騒ぎ出す慈衛。
その脳天に波海のチョップが炸裂、沈黙する。
「たまには僕の要望を聞いてくれてもいいでしょ?」
先程の瀞と同じような、暗いオーラを纏った慈衛が見上げながら問う。
波海はそれに対し、苦笑と溜息で返す。
「まぁ、たまにはね」
「ヤッ――」
ター、という言葉は口内で留まり、波海の二撃目が背部中央に炸裂し、その姿を吹き飛ばす。
「うぅ……いくらなんでも学園長に対する仕打ちが酷いんじゃないかな?」
「大丈夫大丈夫、死にはしないから」
そう言って、見せ付けるように拳を強く握る。
「え? 何か前提が違ってないかなぁ波海サン?」
「私に敬称を付けたヒトは死ぬのがセオリーなんだけど、友情特権で気絶でいいかな」
誰しもが視認出来ないような、超絶的な速さの一撃が慈衛に向けて放たれる。
肉打つ撃音が響き、少年姿の学園長は弾丸の如く弾け飛んだ。
夕暮れも過ぎ、暗みが深まってきた時分。
滅多に鳴らない葉河の部屋の電話が鳴る。
「もしもし? あぁ、そう。うん、あぁ、わかった。あんがとな。あぁ、んじゃ」
ほんの数言のやり取りを終え、葉河は受話器を置く。
窓際のベッドに座った澪の耳に聞こえたのは高めの、つまり女性の声。
「誰から?」
「いたのか……って聞いてたか? 今の」
「葉河の声は。でも相手の女の人は……」
あ〜、と葉河は口を開けたまま声を零す。
それから少しして、勝手に納得したように頷く。
「まぁ、うん。誰にも言うな」
「え?」
「そのままの意味だ」
それだけ言うと、葉河は窓から瀞の部屋へと移っていった。
「私は蒼海霞、あのバカの姉をやってるここの世帯主だよ」
悪戯っぽい笑顔に派手な洋服を着た女性は、首筋に触れる冷たい金属にも全く動じない。
当然といえば当然である、動じる理由が無いのだから。
「そのナイフさ、結構研いであるから離してくれない?」
「あ……え……はい」
瀞の姉を名乗る女は、澪の動きの前に既に澪の腕から逃れている。
そのまま澪からナイフを受け取り、鞘に入れると台所へ放り投げる。
「まぁ楽にしてよ。奥手のあのアホが連れ込んだ女の子がどんなのなのか知りたかったし。まぁ、私に対する対応はベストね」
「えっと……ありがとうございます」
呆然とする澪に、霞は溜息と共に一言。
「敬語はいらないの。だからくつろいでほしいんだって」
最近、何度も聞いた無礼講を意味する言葉。
今まで、長くしきたりの中で生活をしてきた澪にとって、当初は不思議なことだったが、今ではそれは相手の気遣いであり、同時にささやかな我侭なのだと言う事を理解してきていた。
「うん……ありがとう」
「いいのいいの。それよりまぁ、慈衛から色々聞いてるんだけど大変だね」
でも、と一瞬言葉を切り。
「まぁ、ともかく、君はいろんな人に守られてるってことは忘れないでね。まぁ、いざとなったら瀞の馬鹿をスケープゴートにしても良いしね」
「……あの、今更なんですけど、あなたは覇術師なんですか?」
問いはしたが、答えの予想はついている。
だからこその質問。
先程の反応、それに慈衛の知り合いであるという時点で覇術師でないという可能性は限りなく低い。
「蒼は地、海は水を暗に表す」
「え……?」
薄笑みを浮かべ、小さく、しかししっかりと澪の耳に届く声で呟く。
地と水、それは覇術の象徴
「水地」
「!」
水地、転じて蛟。
“蛟
その名通り、水と地の術式を自在に操る高位覇術師のことは。
「じゃあ、瀞もその力を持ってるから……」
瀞の強大な覇力は、覇術師として見ても明らかに規格外である。
ましてや、覇術師を輩出したことの無い家からあれほどの術士が出ることはありえないと言って過言ではない。
だが、それが“蛟”と同家であったということならば、まだ奇跡程度の扱いとなる。
それだけ、瀞の覇力は圧倒的に強大なものなのである。
澪の確認の意味を含んだ問い掛けに、霞は一瞬考え、頷く。
「瀞は違うよ。うん、まぁアイツは違う」
「でも“蛟
「そうなんだけどさ〜、まぁ、イレギュラーはどこにでもいるもん。アイツは特大のイレギュラーってこと。あと、この指輪
澪は霞が差し出した指輪を受け取ると、中心にある美しい珠に目を向ける。
どこかで見覚えのあるようなそれが、澪には何なのかすぐにわかった。
「これって……」
「まぁ、私そろそろ戻るね。まだ勤務時間なんだもん、ちなみに私は医者やってるんだ。これからもあの馬鹿をよろしくね〜」
霞は澪の言葉を遮り、言いたいことを言い終えると、じゃね〜、という言葉を残し、少し焦った様子で出て行った。
澪はそんな霞との邂逅を、何故か瀞にも葉河にも話さないでおこうと決めた。
それは「何となくソッチの方が面白そうだから」という生物部の面々の考えが伝染した結果かもしれない。
深夜、子
大きく伸びをしながら、街灯下のベンチに座っているのは葉河。
その近くの茂みからは澪と瀞の二人が葉河を見張っている。
葉河は秘密といったが、どうしても気になった澪は、眠そうに目を擦る瀞を連れて尾行に入った。
そして、葉河は二人にとっても馴染み深い公園、東神領公園に来たのである。
「……あと十秒で約束の時間。随分とぴったりに来たな、俺」
独り言に微笑を浮かべ、懐中時計の秒針を目で追う。
時が刻まれていき、約束の時間へと迫る。
「三、二、一」
「零」
一秒の誤差も無く、その場に現れた少女は、葉河にだけではなく、瀞と澪の知る人物だった。
橘梓。
「お前って本当に正確だな」
「まぁね。でも待たされるより良いでしょ?」
「そりゃな」
葉河はいつも通りの笑みを浮かべ、梓は葉河の横に、少し間を開けて腰を下ろす。
「それで、何の話? こんな所でこんな時間に密会してるところ、波海に知れたら命の危険があるんじゃない?」
「こんな時間に、なんて言うなら呼びかけに応じるなよ。俺も一応男だぞ?」
脅すような葉河の言葉に梓は大人びた微笑を浮かべる。
「生物部の皆は信じてるから」
「俺も、波海も、ってことだ。お前の質問に対する答えはな」
「信じる心は大切ね」
そんなありきたりの言葉に、そうだな、と葉河は頷く。
生物部の面々には、確固とした信頼がある。
だからこそ葉河は梓を読んだし、梓もそれに応じた。
「それで、本題は?」
「あぁ、ちょっと相談したいことがあってな。まず前提として聞いておきたいことがある」
葉河はベンチから立ち上がり、再び大きく伸びる。
左の手首の腕輪
「お前は、覇術師だな」
梓はその言葉に、ゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「さて、と。う〜んとね、何を話そうかな」
顎に手をあて、考えるように首を傾げる。
その表情は荘厳とは程遠い、気の抜けた笑顔。
「うん。まず、瀞君にはこれをあげよう」
そう言って慈衛が差し出したのは、四つの小さな宝玉が付いた、男物の指輪。
銀細工と見て取れる美しい彫金に二人は感嘆の声を上げる。
「これは術式発動具でね。術式の方式を中に入れておくことで、定められた術式をいつでも発動できる代物だ」
へぇ、と感心しながら指輪を見つめる二人。
「その宝玉はそのまんま封珠っていうんだけど、一つにつき一つの術式を封じることが出来る。その後、それに覇力を注ぐことで術式が自動組成されて発動する。まぁ、詳しいことは澪ちゃんに聞いて」
「わかった」
頷き、封珠の付いた指輪を右のポケットにしまう。
慈衛はその様子を満足そうに見ると、次の話題に入る。
「さて、次は葉河に対する忠告……っていうのはおこがましいかな。アドバイスというか、うん一言」
今一つ上手くまとまらない自分の言葉に諦めをつけ、慈衛は話を続ける。
「葉河、仲間を信じるのは良いことだよ。でもね、自分も信じていいと思うよ」
「……そんだけ?」
「うん」
そう自身ありげに頷き、慈衛は話を再会する。
その後に慈衛が話した言葉は、どれも具体性に欠けていた。
それは恐らく、故意によるもの。
しかし、葉河はそれに気付きつつも、慈衛を信じ、問わないことにした。
結局、真面目な話を終えたその後も、二人のメイド談義に華が咲き、彼らの帰宅の時は、既に十時を回っていたのだった。
「じゃあ、明日から合宿。皆体調は良いわね? 明日は早いんだから今日は早めに寝ておくのよ」
まるで保護者のような口調で注意する梓。
実際、しっかりとした睡眠をとらなければ彼らの合宿に付いていくことは出来ない。
それは澪以外の全員が身をもって理解していることである。
「じゃあ明朝五時、校門前に集合ね」
その言葉を確かに聞くと、生物部の面々は自らの家へと帰宅を始めた。
翌日からの旅行に大きな期待を抱いて。
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